源経相
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時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 天元2年(979年) |
死没 | 長暦3年10月7日(1039年10月26日) |
改名 | 為能または惟能(初名)→経相 |
官位 | 従四位下、三河守 |
主君 | 後朱雀天皇 |
氏族 | 宇多源氏 |
父母 | 父:源時中、母:藤原安親の娘 |
兄弟 | 済政、信時、重時、惟時、朝任、経相、則孝 |
妻 | 藤原為盛の娘 |
子 | 経宗、経季、藤原資房正室 |
源 経相(みなもと の のりすけ)は、平安時代中期の貴族。初名は為能あるいは惟能。宇多源氏、大納言・源時中の八男。官位は従四位下・三河守。
経歴
[編集]源倫子(藤原道長正室)の甥にあたり、彼自身も道長一族と深い関係にあった。三条・後一条・後朱雀の三朝の約30年近くに亘って、紀伊守・丹後守・備前守・三河守などの地方官を歴任した。後朱雀朝初頭の長暦3年(1039年)10月7日卒去。享年61。最終官位は三河守従四位下。
官歴
[編集]- 長和2年(1013年) 正月24日:見前紀伊守[1]
- 長和5年(1016年) 11月11日:見丹後守[2]
- 時期不詳:従四位下[3]
- 治安2年(1022年) 正月28日:備前守[3]
- 万寿3年(1026年) 正月:辞備前守[4]
- 長元9年(1036年) 日付不詳:三河守?[5]
- 長暦3年(1039年) 10月7日:卒去[5]