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わたしがいなかった街で

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
わたしがいなかった街で
著者 柴崎友香
発行日 2012年6月29日
発行元 新潮社
ジャンル 長編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 四六判
ページ数 239
コード ISBN 978-4-10-301832-2
ISBN 978-4-10-137642-4(文庫判)
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わたしがいなかった街で』(わたしがいなかったまちで)は、2012年6月29日新潮社から発売された柴崎友香の長編小説。

あらすじ

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〈わたし〉は、祖父が原爆投下のすぐ前まで広島に住んでいたことを知る。偶然、少し前にに引っ越してきていたので、今わたしは生きている。そういうことを考えつつ、東京世田谷に引っ越してきた。以前は、離婚した旦那が残していってくれた錦糸町のマンションに住んでいたが、いつまでも住んでいるのも嫌だったので、売り払って引っ越したのだ。そこへ、以前実家のある大阪で開かれていた写真教室で一緒だった、中井が電話を掛けてくる。中井にあったときに、同じ写真教室にいた葛井の話が出る。葛井は海外に行ったまま、連絡が取れなかったが、中井が大阪城公園をうろついているときに、葛井の妹に逢うことに成る。葛井の妹は、連絡を絶った兄の遺品を少し預かってくれないかと、中井に渡す。その大阪城のある京橋は、終戦前日に空襲で焼けた土地で、わたしは、中井に大阪城にあるという空襲の弾丸の後を、写真に撮ってきて貰う。そして、暇あるごとに戦争のドキュメンタリー映像を貪り観る。そんななか、わたしは、友達の有子が新しい旦那の源太郎と共に開くというレストランで働かないかと、声を掛けられる。わたしは、それが原因ではないにせよ、歳を取ってきていてずっと派遣社員のまま正社員になれないだろうという悲観もあって、会社を辞めることを上司に相談してしまう。しかし、有子の店が当初の予定だった目黒大橋で出来そうになくなり、逗子でやることになったために、わたしは手伝いすることが困難になった。有子の父は、実家にわたしを呼び、有子の持ち物の整理を手伝うが、その帰り道に眩暈で倒れて救急車で運ばれてしまう。そのころ、葛井の妹は、四国でやっているアートフェスティバルに、友達と参加した。もう一泊するという友達と別れて、一人高速バスに乗って大鳴門橋明石大橋を渡って帰ってくる途中、淡路島の棚田の美しい夕暮れを体験する。それは、「これ以上の幸福なんてなくていいような、なにか」であった。日常に帰ってきた妹は、仕事帰りに京橋南口の慰霊碑を観に行く。もう夜も暗かったが、前には老女が数珠を持って橋の上を見上げていて、「怖かったわ、あんな怖いこと、他にあらへん」と戦争体験を話す。

登場人物

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  • 平尾砂羽(わたし) - 主人公。祖父が呉のコックだった。
  • 中井 - わたしの昔の友達。
  • 葛井夏 - わたしと中井の写真教室での仲間だった葛井の妹。
  • 有子 - わたしの女友達。

評価

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小説家・比較文学者・フランス文学者の小野正嗣には、「〈文学〉に分の悪いこの時代に、文学的表現によって応答するこの小説は、まさに〈いま〉だから書かれなければならなかった傑作である」と評されている[1]

書籍情報

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  • 『わたしがいなかった街で』 新潮社刊、2012年6月29日発売、ISBN 978-4-10-301832-2

出典

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外部リンク

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