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小田桐勝英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小田桐 勝英(おだぎり かつひで、1834年(天保5年)[1] - 1917年(大正6年)[1])は、明治から大正時代の政治家青森県会議長。青森県東津軽郡青森町長。旧姓は花田[1]

経歴

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弘前藩士の四男として生まれ、鰺ヶ沢小田桐家の養子となる[1]。青森町会議員、西津軽郡長、青森県会議員[1]、同副議長[2]、同議長を歴任した。

1893年(明治26年)鰺ヶ沢から木造への郡役所移転を巡る騒動では扇動者として拘束されたがのちに無罪となった[1]。のち青森町長に当選し、同町へ移った[1]

郡長時代には千巷および水文庵風月と号し鰺ヶ沢町民に俳句を指導した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 東奥日報社 2002, 122頁.
  2. ^ 影山 1886, 55頁.

参考文献

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  • 影山幸次 編『府県会議員録』美章堂、1886年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780214 
  • 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656