白旗塚古墳
白旗塚古墳 | |
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白旗塚古墳の正面写真。 2016年(平成28年)5月。 | |
所属 |
伊興古墳群 (白旗塚古墳群) |
所在地 | 東京都足立区東伊興 |
位置 | 北緯35度48分4.46秒 東経139度47分33.64秒 / 北緯35.8012389度 東経139.7926778度座標: 北緯35度48分4.46秒 東経139度47分33.64秒 / 北緯35.8012389度 東経139.7926778度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径12メートル、高さ2.5メートル |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 不明(未調査) |
築造時期 | 6世紀前半 |
被葬者 | 不明 |
史跡 | 東京都指定史跡 |
地図 |
白旗塚古墳(しらはたづかこふん)は東京都足立区東伊興にある古墳。円墳。1975年(昭和50年)2月6日に東京都指定史跡に指定[1]。古墳時代後期初頭の6世紀前半頃のものと推定されている[1]が、詳細な考古学調査は2020年(令和2年)7月時点で行われていない。
概要
[編集]江戸時代後半の『日光道中分間延絵図』[2]には、甲塚、摺鉢塚とともに二本松塚として示され、名称未記載のものを含むと合計8基の古墳が並ぶ姿が描かれている。このことより、相当数の古墳からなる伊興古墳群(または白旗塚古墳群とも[3])を構成していたことが推定できる[4]。その後、土地の開墾や都市開発などに伴って消滅が進み、1964年(昭和39年)の土地改良事業による都市開発の過程で他の古墳は全て取り壊され、現存するのは白旗塚古墳のみとなっている。
毛長川流域に広がる足立区北部の遺跡群の一角を構成するものとみなされている。さきたま古墳群から大宮台地をはさんだ毛長川流域には伊興遺跡、舎人遺跡などの遺跡群があり、相互の直接的な関連は不明だが、毛長川の水運を用いた古代文化圏として何らかの関係があったものと推定されている[5]。
『新編武蔵風土記稿』によれば、源義家が奥州征伐時にこの地で白旗をなびかせて戦ったとの逸話から、白旗塚と呼ばれるようになった[6]。
交通アクセス
[編集]白旗塚史跡公園
[編集]白旗塚史跡公園 | |
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白旗塚史跡公園正面。 2016年(平成28年)5月 | |
分類 | 都市公園 |
所在地 |
東京都足立区東伊興 |
面積 | 2934.22m2[7] |
開園 | 1987年(昭和62年)4月1日 |
運営者 | 足立区 |
駐車場 | なし |
公式サイト | 区内公園一覧(区内西部地域の区立公園) |
古墳が東京都指定史跡になったことを受けて、足立区は1987年(昭和62年)に白旗塚古墳を含む敷地を史跡公園として整備した。公園内には白旗塚にまつわる『新編武蔵風土記稿』の引用石碑、埴輪像などが設置されている。
脚注
[編集]- ^ a b 足立区白旗塚古墳.
- ^ “日光道中分間延絵図 5巻之内1”. 五海道其外分間絵図並見取絵図. 東京国立博物館 (1806年). 2016年6月12日閲覧。
- ^ 東京都教育庁生涯学習部文化課 1993, p. 87.
- ^ 東京都教育庁生涯学習部文化課 1992, p. 83.
- ^ 足立区伊興遺跡調査会 1998, p. 330.
- ^ 新編武蔵風土記稿伊興村.
- ^ 足立区土木部公園課 2008, p. 34.
参考文献
[編集]- 「伊興村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ137足立郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。 NCID BA30420392。NDLJP:763997/46。
- 東京都教育庁生涯学習部文化課『東京都の文化財(一)』東京都、1992年3月、83頁。 NCID BN07504096。
- 東京都教育庁生涯学習部文化課『東京の遺跡散歩』東京都、1993年3月1日、87頁。 NCID BN08948357。
足立区伊興遺跡調査会『足立区北部の遺跡群』足立区、1998年3月31日、330頁。 NCID BA39204079。
- 足立区土木部公園課『平成20年度 足立区公園緑地』2008年、34頁。
- “白旗塚古墳”. 足立区ホームページ (2019年6月14日). 2019年11月11日閲覧。