大久保端造
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大久保 端造(おおくぼ たんぞう、1854年(安政元年5月10日[1][2]) - 1916年(大正5年)6月25日[2])は、日本の弁護士・政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]常陸国新治郡(のち茨城県新治郡安飾村→出島村→霞ヶ浦町、現・かすみがうら市)生まれ[1]。法律学を学ぶ。戸長を経て、代言人となり、弁護士の業務に従事する[2]。東京弁護士会副会長、東京市京橋区会議員を務めた[2]。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において茨城5区から自由党所属で立候補するが5票差で落選した[3]。1892年の第2回衆議院議員総選挙では自由党から立候補したが次点で落選した[4]。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では自由党から立候補して当選した[5]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙で落選[6]。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では新自由党から立候補して落選した[7]。衆議院議員は1期務めた。大正5年6月25日卒去。墓所は青山霊園1-イ-22にあるが、無縁状態となっている。