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靳彊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

靳彊(きん きょう)は、紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけての中国、の末期と前漢初期にいた人物である。生年不明、紀元前185年死。劉邦に従って戦った。中尉南郡太守汾陽侯は厳侯[1]または壮侯[2]

解説

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秦末の反乱で劉邦軍に加わったが、『史記』と『漢書』で少し異なることがある。『史記』によれば、前2年(紀元前208年)に陽夏で劉邦軍に加わって郎中騎千人となった[3]。『漢書』もほぼ同じだが、前3年(紀元前207年)に櫟陽で従ったことになっている[1]

鴻門の会では、劉邦が項羽の陣営から逃げ出したとき、剣と盾を持ち徒歩で走って従った4人の中の一人であった[4][5]

その後楚漢戦争を戦い、中尉となって、項羽の武将鍾離眛を破った[3][1]

南郡太守となり、その地の蛮を秦の時代と同様に(君長に貢納させて間接統治で)治めることを請うた[6]。なお、この出来事は年がわからず、次に述べる汾陽侯との前後関係は不明である。

高祖の晩年、高祖11年(紀元前196年)2月辛亥(『漢書』によれば3月辛亥)に汾陽侯に封じられた[1]。諸侯の中で位次は96位である[1]

11年後の高后3年(紀元前185年)に死んだ[1]。子の靳解が汾陽侯を継いだ[3][1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『漢書』巻16、高祖高后文功臣年表第4、汾陽嚴侯靳彊。
  2. ^ 『史記』巻18、高祖功臣者年表第6、汾陽への『史記索隠』注。。
  3. ^ a b c 『史記』巻18、高祖功臣者年表第6、汾陽。
  4. ^ 『史記』巻7、項羽本紀第7。
  5. ^ 『漢書』巻1上、高帝紀第1上、高祖元年。
  6. ^ 『後漢書』巻86、南蛮西南夷列伝第76、巴郡南郡蛮。

参考文献

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外部リンク

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