赤石館 (出羽国)
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赤石館 (秋田県) | |
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別名 | 赤石城 |
城郭構造 | 平城(居館) |
築城主 | 赤石氏? |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 赤石与兵衛? |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、腰曲輪、石塁 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
位置 | 北緯39度14分51.5秒 東経139度55分12.6秒 / 北緯39.247639度 東経139.920167度座標: 北緯39度14分51.5秒 東経139度55分12.6秒 / 北緯39.247639度 東経139.920167度 |
地図 |
赤石館(あかいしだて)は、秋田県にかほ市金浦字館ヶ森にあった中世の日本の城(城館)。
概要
[編集]にかほ市内を流れる赤石川(青森県の赤石川とは異なる)右岸の平野部に独立して複数存在する低位台地の一つに立地する。台地は60メートル×40メートル規模で主郭となる曲輪のほか3段の腰曲輪を持ち、北西には石塁と見られる石積みの遺構が残る[2]。
『日本城郭大系』第2巻では、「由利十二頭」に数えられる矢島氏(大井氏)と仁賀保氏が、1587年(天正15年)に和睦した際、仁賀保氏側から派遣された家臣「赤石与兵衛」の居館ではないかと推定している[2]。
脚注
[編集]- ^ 「秋田県遺跡地図情報(赤石館)」秋田県公式HP
- ^ a b 児玉・坪井 1980 p.444