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三国祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三国祭
三国神社前に勢揃いした山車 2022年撮影
三国神社前に勢揃いした山車
2022年撮影
イベントの種類 祭り
開催時期 5月
会場 福井県坂井市三国
主催 三国祭保存振興会
公式サイト
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巡行中の山車(猩々舞)2011年撮影
巡行中の山車(柴田勝家)2011年撮影
山車基部(直江兼続)2011年撮影

三国祭[1](みくにまつり)は、福井県坂井市三国町で行われる三國神社の春祭りである。

概要

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富山県高岡市御車山祭(みくるまやままつり)、石川県七尾市青柏祭(せいはくさい)と合せて北陸三大祭と呼ばれており、毎年5月19日(例大祭)20日(山車神輿巡行・中日祭)21日(後日祭)の3日間行われる。特に20日の町内を練り歩く山車巡行が圧巻である。町内には18基の山車があり、山番にあたった6基(または7基)が町内を巡行する。北前船の交易などで三国湊が隆盛するとともに最盛期には山車が高さ10mを超えるような武者人形や出来栄えを競うようになったが、明治に入って電線が敷設されたため、現在は 4-5m に制限されている。なお、2005年平成17年)に三国町(現 坂井市)の無形民俗文化財に、翌2006年(平成18年)4月25日には県の無形民俗文化財に指定[2] されている。

なお同町にある「坂井市龍翔博物館別館」には、明治末期の10mを超える人形を載せた山車が展示されている。

歴史

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  • 1717年享保2年)- 三国祭の曳山がいつから始まったか正確な日付は不明であるが、1717年[3]の「大門町記録」に傘鉾の記録がある。[4]
  • 1750年頃(宝暦年間)- 「傘鉾、担い屋台」が始まる。
  • 1753年(宝暦3年)- 祭礼に初めて木場町・今町の両町組が桜山を出す[5]
  • 1757年(宝暦7年)- 元新町・下新町の両町組が武蔵野の笠鉾を出す。元新町・下新町は以後隔年で山車を出すようになった[5]
  • 1844年天保15年) - 「万代不易録」によると担ぎ屋台に人形を飾ったところ人気を博し、翌年より他の屋台も見習うようになった。

山車番

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山車は18基あるが、それらを曳く地区(町)は、これまで合併や分割、区画整理によって増減があったが、現在も以下のように約30地区と数多くあり、近年ほぼ毎年曳き出している三国祭保存振興会を除き、3年から長くて8年に一度山番を務める。

山車を曳く山車番

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岩崎区、中元区、森町区、玉井区、四日市区、大門区、上台区、下台区、上西区、下西区、元新区、松ヶ下区、上旭・下旭区、北末広(廣)区、南末広(廣)区、桜町区、下新区、下綿区、喜宝区、滝本区、滝谷区、真砂区、上・下真砂区、堅・上横区、橋本区、上八町、三国祭保存振興会 など

参考文献

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  • 高橋秀雄 金田 久璋『祭礼行事・福井県』株式会社おうふう、1995年。 
  • 桜谷社年代略記(1856年)[6]
  • 『第16回特別展 三国の曳き山車まつり展』(三国町郷土資料館〔みくに龍翔館〕〈現 坂井市龍翔博物館〉)2000年(平成12年)3月25日発行

脚注

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  1. ^ 三国祭の表記について 三國神社の公式ホームページ/三国祭保存振興会のページでは「国」の文字を使用している。
  2. ^ 福井の文化財「三國神社例大祭「三国祭」」”. 福井県. 2015年12月12日閲覧。
  3. ^ 三國神社ホームページにある三国祭の歴史では1697年(元禄10年)となっている。
  4. ^ 祭礼行事・福井県、P.80 三国祭り
  5. ^ a b 広報誌「ふくいミュージアム No.52」館蔵書資料紹介「桜谷社年代略記」”. 福井県立歴史博物館. 2017年4月9日閲覧。
  6. ^ 福井県立歴史博物館が1997年(平成9年)に収集した内田家の旧蔵書で、桜谷社(現 三國神社)に関するさまざまな出来事を1540年(天文9年)から1856年(安政3年)まで年代順にまとめた記録

関連項目

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外部リンク

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