高浜七年祭
高浜七年祭(たかはましちねんまつり)とは福井県高浜町にある佐伎治(さきち)神社の式年大祭であり、福井県の指定無形民族文化財の一つである[1][2]。次回は2025年に開催予定である。
概要
[編集]高浜七年祭は巳年と亥年の6月、卯の日から酉の日の7日間に、旧高浜地区全域を氏子として行われる佐伎治神社の式年大祭であり、別名「七年祭」と呼ばれる。祭りの期間中は中ノ山・西山・東山の三基の神輿が氏子約300人によって高浜町内を中心に曳行する[3]。神輿それぞれに太鼓打ちと芸能衆が行列をなして付き従い、神輿の出発前や到着後に太刀振り、お田植、神楽などの芸能を披露する。一方、7種類ある曳山では「屋台囃子」と、子供による「日本舞踊」や「太鼓の演奏」が演じられる[2]。祭り最終日には氏子が神輿を担いだまま海に入る「足洗いの儀」を行う。この儀式により怨霊や疫神が海に帰っていくとされている[4]。
歴史
[編集]高浜七年祭は京都市の祇園祭と同様、御霊会の一つである。祭りの起源は逸見昌経による高浜城の築城後であると考えられている。七年祭らしき記述の文献が登場したのは安土桃山時代の里村紹巴の紀行文『紹巴道の記』(天橋立紀行)の1569年(永禄12年)6月19日の条「高浜祇園会桟敷なとうたれければ一見して明る夜ふかく立出ぬ」で、「高浜祇園会」というのが現在でいう高浜七年祭であることから、この頃から祭りが行われていたとされる[2][5]。
祭り中に行われる芸能
[編集]曳山芸能
[編集]氏子たちによる「屋台囃子」と子供たちによる「日本舞踊」、「歌謡舞踊」、「太鼓の演奏」が行われる。特に2日目は「山上がり」と呼ばれ、すべての曳山が佐伎治神社に集結する[6]。
太刀振
[編集]太刀振は7種類存在し、各地区ごとに演じる。それぞれの太刀振ごと異なった演目を行うため、それぞれの太刀振に大きな特徴がある[6]。
神楽
[編集]立石区、畑区、中寄区の若連中により演じられる。演目は「弊の舞」「剣の舞」「本神楽」「荒獅子」の4演目がある[6]。
お田植
[編集]事代区の若連中により演じられる。お田植はまず、8人前後の鍬と柄振りを持った青年が、円陣を組んで唄いながら舞う「ごよがの」から始まる。お田植の最後は神主と子供数人からなる早乙女との掛け合いで終わる[6]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “高浜七年祭”. NPO日本の祭りネットワーク. 2024年10月6日閲覧。
- ^ a b c “文化財詳細|福井県文化財ページ”. 福井県. 2024年10月6日閲覧。
- ^ “6年に一度を見逃すな!「高浜七年祭」を体感してきた!”. 日々URALA. 2024年10月7日閲覧。
- ^ “高浜七年祭にVR旅行”. TAWNWARP. 2024年10月7日閲覧。
- ^ “七年祭の歴史と概要-高浜七年祭高浜町文化財観光WEBサイト”. 高浜町文化遺産保存活用協議会. 2024年10月7日閲覧。
- ^ a b c d “高浜七年祭のMAPとスケジュール”. 2024-10--09閲覧。