佐奈田霊社
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佐奈田霊社 | |
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所在地 | 神奈川県小田原市石橋420 |
位置 | 北緯35度13分18.1秒 東経139度8分23.5秒 / 北緯35.221694度 東経139.139861度座標: 北緯35度13分18.1秒 東経139度8分23.5秒 / 北緯35.221694度 東経139.139861度 |
主祭神 | 佐奈田与一義忠 |
神体 | 佐奈田与一(魁秀明神) |
創建 | 1180年 |
例祭 | 毎月23日 |
地図 |
佐奈田霊社(さなだれいしゃ)は、源頼朝旗揚げの地「石橋山古戦場(神奈川県小田原市石橋)」にある神仏習合の霊社である。
1180年より日本唯一の「のど・声、喘息、気管支炎 等」の祈願所(護摩の祈祷あり)とともに戦の先駆け=魁の神様(魁秀明神)を奉る。石王山宝寿寺が管理している[1]。
歴史
[編集]1180年(治承4年)8月23日、石橋山の戦いで討死した頼朝方の先鋒の佐奈田与一義忠を祀っている。与一は持病の痰のため、味方からの呼びかけに対し声が出せず、そうこうしているうちに敵に討たれてしまったという言い伝えから、咳・声・のどに霊験があるとされ、芸能関係者も数多く参詣する[2]。例祭は毎月23日。与一の命日である8月23日には大祭が行われる[3]。 与一が敵方の俣野景久を組み伏せた畑は「ねじり畑」として残り、作物が全てねじれてしまうという言い伝えがある[4]。この南方の丘の上には、与一の討死後8人を討ち取り散った家臣(与一の爺や)文三家康を祀る「文三堂」が建てられている[5]。
吾妻鏡によると、1190年(建久元年)、源頼朝は伊豆山権現参詣の帰りに境内の与一塚に立ち寄り、涙を流したと言う [6]。文三堂と与一塚は、1954年に県の史跡に指定された[7]。
本堂には、戦の無事を祈った奉納額や、古戦場から発掘された刀などが奉納されている[6]。境内には、1986年に柏木学園により「湘南そろばん塚」[8]、2005年には江戸消防記念会の石碑[9]が建立されている。
交通
[編集]JR東日本東海道本線早川駅より約2.5Km、同駅より箱根登山バス石橋停留所下車(平日のみ、休日運休)。
脚注
[編集]- ^ “寶壽寺で新たな幕開け”. タウンニュース. (2016年4月9日) 2017年12月3日閲覧。
- ^ “石橋山古戦場・佐奈田霊社”. 小田原市文化財課 (2016年4月28日). 2017年12月3日閲覧。
- ^ “佐奈田霊社”. 佐奈田霊社. 2017年12月3日閲覧。
- ^ “佐奈田与一と佐奈田霊社”. 小田原市観光課 (2012年3月15日). 2017年12月3日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年6月8日、107頁。
- ^ a b “佐奈田霊社の紹介”. 佐奈田霊社. 2017年12月3日閲覧。
- ^ 文化財情報検索 石橋山古戦場のうち与一塚及び文三堂(神奈川県生涯学習情報システム)
- ^ “人生変えた「算盤」供養”. タウンニュース. (2015年11月21日) 2017年12月3日閲覧。
- ^ “第九区のあゆみ”. 江戸消防記念会. 2017年12月3日閲覧。
関連文献
[編集]- 「早川庄 石橋村 佐奈田與一義忠墳」『大日本地誌大系』 第37巻新編相模国風土記稿2巻之31村里部足柄下郡巻之10、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179210/77。