平ヶ崎王塚古墳
平ヶ崎王塚古墳 | |
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墳丘 | |
所属 | 王塚古墳群 |
所在地 | 滋賀県高島市今津町日置前・酒波 |
位置 | 北緯35度25分29.12秒 東経136度0分56.83秒 / 北緯35.4247556度 東経136.0157861度座標: 北緯35度25分29.12秒 東経136度0分56.83秒 / 北緯35.4247556度 東経136.0157861度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径56m 高さ7m |
埋葬施設 | (推定)粘土槨または木棺直葬 |
築造時期 | 5世紀前半または後半 |
史跡 | 滋賀県指定史跡「王塚古墳」 |
地図 |
平ヶ崎王塚古墳(へがさきおうづかこふん)は、滋賀県高島市今津町日置前(ひおきまえ)・酒波(さなみ)にある古墳。形状は円墳。王塚古墳群を構成する古墳の1つ。滋賀県指定史跡に指定されている。
概要
[編集]滋賀県北部、箱館山から出る石田川左岸の、扇状地中央部に築造された大型円墳である。一帯では王塚古墳群・妙見山古墳群が分布し、それらの盟主墳に位置づけられる。
墳形は円形で、直径約56メートル・高さ約7メートル・墳頂部直径約18メートルを測る[1]。墳丘は2段築成[1]。墳丘外表で葺石・埴輪は認められていない[2]。墳丘周囲には幅約12メートルの周溝が巡らされており、周溝を含めた古墳全体では直径約80メートルを測る[1]。埋葬施設は明らかでなく、粘土槨または木棺直葬と推定される[1]。
この平ヶ崎王塚古墳は、古墳時代中期の5世紀前半または後半の築造と推定される[1]。被葬者は明らかでなく、時期は異なるが塩焼王(氷上塩焼)の墓とする伝承がある[3]。平地に築造された古墳としては滋賀県内で最大級になる点で注目されるとともに、高島市内で他に「王塚古墳」として知られる田中王塚古墳(高島市安曇川町田中)とは墳丘規模・墳形・築造方法等に共通性が認められており、5世紀代の高島地域を考察するうえで重要な古墳になる[4]。
古墳域は1987年(昭和62年)に滋賀県指定史跡に指定されている[5]。
妙見山古墳群について
[編集]王塚古墳群に近接する妙見山古墳群は、石田川左岸に位置し妙見山丘陵に分布する。
この丘陵上に北東から東斜面にかけて方墳・円墳が 60基以上存在し、築造時期は、3世紀から7世紀後半である。
前期古墳の墳丘規模は約4メートル~15.5メートルと小さく、周囲に溝を巡らせる。
このことから弥生時代の方形周溝墓が祖形と考えられ、弥生時代の地縁や血縁を残す集団墓とされている。 [6]
妙見山古墳群C支群38号墳からは、4世紀末頃の遺物とともに鉄滓が出土している。 この遺物は、この地域の鉄生産の操業開始年代を考えるうえで重要な資料である。 [7]
文化財
[編集]滋賀県指定文化財
[編集]- 史跡
- 王塚古墳 - 指定範囲面積は4,431平方メートル。1987年(昭和62年)3月30日指定[5]。
周辺
[編集]- 日置前遺跡 - 高島郡衙跡か。
- 日置前廃寺跡
脚注
[編集]- ^ a b c d e 史跡説明板。
- ^ 滋賀県文化財学習シート 2004.
- ^ 平ヶ崎村(平凡社) 1991.
- ^ 古の高島を語る「二つの王塚」 (PDF) 『広報たかしま 平成27年1月号』高島市、2015年。
- ^ a b 文化財目録 > 県指定史跡・名勝・天然記念物 (PDF) (滋賀県ホームページ)。
- ^ 高島市教育委員会『田中古墳群分布測量調査報告書』 20巻〈高島市文化財調査報告書〉、2013年3月(原著2013年3月) 。P14
- ^ 滋賀県教育委員会、滋賀県文化財保護協会『日置前遺跡』滋賀県教育委員会、2012年3月(原著2012年3月) 。P4
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(高島市教育委員会、2014年設置)
- 「王塚古墳」 (PDF) 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課、2004年(滋賀県総合教育センター「滋賀県文化財学習シート」)。
- 「平ヶ崎村」『日本歴史地名大系 25 滋賀県の地名』平凡社、1991年。ISBN 4582490255。
- 白井忠雄「妙見山古墳群」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
- 高島市教育委員会『田中古墳群分布測量調査報告書』 20巻〈高島市文化財調査報告書〉、2013年3月(原著2013年3月) 。
- 滋賀県教育委員会、滋賀県文化財保護協会『日置前遺跡』滋賀県教育委員会、2012年3月(原著2012年3月) 。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 「王塚古墳の調査」『今津町文化財調査報告書 第7集』今津町教育委員会、1987年。
- 「王塚古墳の調査」『町内遺跡発掘調査概要報告書 -日置前廃寺遺跡の調査・王塚古墳の調査 : 滋賀県高島郡今津町-』今津町教育委員会、2002年。
関連項目
[編集]- 田中王塚古墳 (高島市安曇川町田中) - 安曇陵墓参考地。5世紀後半の首長墓で、彦主人王の墓と推定される。
- 鴨稲荷山古墳 - 6世紀前半の首長墓(前方後円墳)。畿内特有の家形石棺、朝鮮半島の影響を強く受けた豪華副葬品を有する。
- 北牧野製鉄遺跡 - 古代の製鉄遺跡群。北牧野古墳群との関連性が指摘される。
- 北牧野古墳群 - 高島市最大の群集墳。製鉄遺跡との関連性が指摘される。
- 熊野本遺跡 - 古代高島の弥生時代から古墳時代にかけての首長墓系譜を考える上で重要な古墳群。
- 上御殿遺跡 - 縄文時代から室町時代の遺跡。日本国内初の双環柄頭短剣(中国内モンゴルに分布するオルドス式銅剣に似ている)の鋳型が出土した。
- 東谷遺跡 - 古墳時代後期から製鉄が行われていた可能性がある遺跡。
- 下五反田遺跡 - 3世紀から11世紀にかけての遺跡だが、中心を成すのは5世紀中葉の遺跡である。出土品から渡来人との交流が見られる。
- 南市東遺跡 - 5世紀後半頃の遺跡。カマドや韓式土器など、渡来人と交流があったことをうかがわせる遺跡である。
- 日置前遺跡 - 縄文時代から鎌倉時代までの複合遺跡。高島郡の郡衙跡と思われる遺跡が見つかっている。