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西田庄助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西田 庄助(にしだ しょうすけ、1859年2月20日(安政6年1月18日[1][2][3])- 1937年昭和12年)6月23日[4])は、明治から昭和前期の実業家政治家衆議院議員滋賀県犬上郡千本村長。

経歴

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近江国犬上郡西沼波村(滋賀県[4]犬上郡千本村[5]字西沼波[3]を経て現彦根市)で、西田教寛の長男として生まれる[2][注釈 1]。深見東岳から漢学を学んだ[3][6]。1881年(明治14年)12月、家督を相続した[2]。農業、商業を営む[4]

1884年(明治17年)10月、平田村外11ヶ村連合会議員・同議長に就任[3]。以後、地蔵村外2ヶ村連合会議員・同議長、彦根沼波町外6ヶ町村連合会議員・同議長、今井水利土工連合会議員・同議長、犬上郡彦根町外101ヶ町村連合会議員、犬上郡所得税調査委員、滋賀県米質改良組合規則設定委員、滋賀県勧業諮問会員などを務めた[3][4][6]。1889年(明治22年)町村制施行により初代千本村長に就任し1894年(明治27年)1月まで在任した[3][4][6]。その他、犬上郡会議員、滋賀県会議員にも在任した[3][4][5][6]

実業界では、1888年(明治21年)湖東銀行の設立に参画し、1906年(明治39年)近江銀行と合併した[3]。滋賀県農工銀行監査役、近江銀行取締役、近江水力電気取締役などを務めた[2][3][4][5]

1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に滋賀県郡部から大隈伯後援会(公友倶楽部)所属で出馬して当選し[7]、その後公正会に所属し衆議院議員に1期在任した[4][5]。この間、衆議院懲罰委員などを務めた[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『滋賀県会議員正伝』78-79頁では、会津藩で生まれ故あって彦根藩に移るとされる。

出典

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  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、14頁。
  2. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』に21頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『現代日本の政治家』公友倶楽部12-14頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』479頁。
  5. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』340頁。
  6. ^ a b c d 『滋賀県会議員正伝』78-80頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』57頁。

参考文献

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  • 北村正武『滋賀県会議員正伝』天怒閣、1892年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。