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大谷俊夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおたに としお
大谷 俊夫
別名義 水谷 登志夫
谷 俊
生年月日 1907年
没年月日 不詳年
出生地 広島県呉市 
職業 映画監督脚本家俳優
ジャンル 現代劇映画、コメディ映画
活動期間 1924年 - 1950年
主な作品
監督
のぞかれた花嫁
オオ!! 細君三日天下
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大谷 俊夫(おおたに としお、1907年 - 没年不詳)は、日本の映画監督脚本家映画プロデューサー、元俳優である[1][2]。当初のキャリアは水谷 登志夫(みずたに としお)名義で、監督、俳優としてスタートした。  

人物・来歴

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1907年明治40年)、広島県呉市に生まれる[2]。旧制・神戸第二中学校(現・兵庫県立兵庫高等学校)卒[1]。1923年(大正12年)、子爵家の長男、23歳の小笠原明峰が京都に設立した小笠原プロダクションに参加、翌1924年(大正13年)、水谷 登志夫名義で『風船売りの小母さん』(短編)を自らのオリジナル脚本で監督し、デビューしている[1][3]。同プロダクションでは、同作以降は俳優として、1926年(大正15年)の同社の解散まで4本に出演した[3]

1933年(昭和8年)、日活太秦撮影所で、八田尚之のオリジナル脚本で、杉狂児主演の『お前とならば』を大谷 俊夫名義で監督し、同年5月25日に同作は公開された[4]。翌1934年(昭和9年)、現代劇の多摩川撮影所移転で同撮影所に異動し、同じく八田脚本・杉主演の『夫を想へば』を監督、同年5月31日、同作が公開された[4]。1936年(昭和11年)、中野実の小説の映画化『細君三日天下』を杉主演で監督している[4]

満洲映画協会

翌1937年(昭和12年)、ピー・シー・エル映画製作所(P.C.L.)に移籍、同年1月14日に公開された秋田実原作のコメディ映画『心臓が強い』を横山エンタツ花菱アチャコ主演で監督している[4]。同年、P.C.L.は合併して東宝映画となり、P.C.L.撮影所は東宝映画東京撮影所(現在の東宝スタジオ)となるが、大谷は同社に残留、永見柳二伊馬鵜平脚本のコメディ『牛づれ超特急』を藤原釜足主演に監督、同作は同年11月3日に公開された[4]。多くの喜劇で名を上げた[1]。ヘラヘラ笑うところから「ヘラ監」というアダ名がついた[1]

1938年(昭和13年)11月3日公開の岸井明主演の映画『虹に立つ丘』を監督したのを最後に、東宝を去り、満洲映画協会に参加するため満洲国(現在の中国東北部)にわたる[4]。満映では、1945年(昭和20年)の解散までに、11本を監督し、うち2本の脚本を書き、王心斎監督作『玉堂春』(1941年)をプロデュースした[4]

満洲からの引き上げ後、東京練馬の太泉映画(現在の東映東京撮影所)で、1950年(昭和25年)、『細君三日天下』を『オオ!! 細君三日天下』として、花菱アチャコを主演、三木鶏郎グループを客演にしてセルフリメイクした[4]。同社での次作、淀橋太郎脚本、柳家金語楼、横山エンタツ、花菱アチャコ、堺駿二出演による、同年7月18日公開の映画『突貫裸天国』を監督[4]。その後、東京都映画協会で演出した後フリーとなり、短編の文化宣伝映画を撮った[1]

おもなフィルモグラフィ

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小笠原プロダクション

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水谷登志夫名義
  • 『風船売りの小母さん』(原作・脚本・監督)、1924年
  • 『泥棒日記』(出演)、原作・脚本小笠原明峰、監督三善英芳、1924年 - ツルリ権兵衛役
  • 『海賊島』(出演)、原作・脚本・監督小笠原明峰、1924年11月22日 - 悪戯小僧(海賊の児分)役
  • 『天馬嘶く』(出演)、脚本小笠原明峰、監督三善英芳、1925年4月30日 - ハルピンの松役
  • 『我れは海の子』(出演)、原作水島あやめ、脚色小笠原明峰、監督小笠原明峰・三好英芳、1926年11月26日 - かいさん(孤児)役

日活撮影所

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大谷俊夫名義
  • 『お前とならば』(監督)、原作・脚本八田尚之、主演杉狂児、日活太秦撮影所、1933年5月25日
  • 『夫を想へば』(監督)、原作・脚本八田尚之、主演杉狂児、日活多摩川撮影所、1934年5月31日
  • のぞかれた花嫁』(監督)、脚本小国英雄、主演杉狂児、主題歌『二人は若い』、日活多摩川撮影所、1935年10月14日
  • 『からくり歌劇』(監督)、原作サトウ・ハチロー、音楽・出演古賀政男、主演岸井明、日活多摩川撮影所、1936年10月24日
  • 『細君三日天下』(監督)、原作中野実、主演杉狂児、日活多摩川撮影所、1936年

ピー・シー・エル映画製作所

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東宝映画東京撮影所

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満洲映画協会

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  • 『冤魂復仇』(監督)、出演李香蘭、1939年
  • 『東遊記』(監督)、出演李香蘭、1939年(東宝による日本公開は40年)
  • 『玉堂春』(プロデュース)、監督王心斎、1941年

太泉映画

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  1. ^ a b c d e f #風土記[1986], p.528.
  2. ^ a b #大百科[1982], p.134.
  3. ^ a b #外部リンク欄の日本映画データベース「水谷登志夫」の項のリンク先の記述を参照。二重リンクを省く。
  4. ^ a b c d e f g h i #外部リンク欄の日本映画データベース「大谷俊夫」の項のリンク先の記述を参照。二重リンクを省く。

参考文献

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  • 山本朗『広島県大百科事典(上)』中国新聞社、1982年。 
  • 『広島県風土記』旺文社、1986年。 

外部リンク

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