太田平次
表示
太田 平次(おおた へいじ、1840年(天保11年9月[1]) - 1910年(明治43年)2月23日[1])は、明治時代の政治家。実業家。銀行家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]のちの大阪府出身[1]。1889年(明治22年)以降、堺附州煉化、堺倉庫各社長、泉州紡績、高野鉄道各取締役、堺銀行頭取、堺市商業会議所議員などを歴任した[1]。
1900年(明治33年)大阪府多額納税者として貴族院議員に互選され、同年12月4日から[2]1904年(明治37年)9月28日まで務めた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 衆議院、参議院 1960, 186頁.
- ^ 『官報』第5229号「帝国議会」明治33年12月5日。
参考文献
[編集]- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。