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牯嶺街 (台北市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
牯嶺街から転送)
牯嶺街
牯嶺街(2009年の写真)
各種表記
繁体字 牯嶺街
拼音 Gǔlǐng jiē
注音符号 ㄍㄨˇ ㄌㄧㄥˇ ㄐㄧㄝ
発音: クーリンチェ
グーリンジィエ
日本語読み: これいがい
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松林書局中国語版(2021年の写真)

牯嶺街(クーリンチェ[1]、グーリンジィエ[2])は、台湾台北市中正区にある街路

戦後から1970年代ごろまで存在した「牯嶺街古書店街」や、当時を舞台にした1991年の映画『牯嶺街少年殺人事件』で知られる。

歴史

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清朝統治時代の「龍匣口庄中国語版」、日本統治時代の「龍口町」「佐久間町」と重なる。1949年から「牯嶺街」となった[2]。名前の由来は江西省廬山牯嶺街中国語版

日本統治時代は、日本人の公務員住宅地や樟脳工場があった[2]樟脳と台湾)。戦後、日本人が台湾から引き揚げると、空き家となった日本家屋国民党政府に接収され、外省人の公務員住宅地となった[2]眷村)。また建国中学などがそばにある学生街でもあった。

「牯嶺街古書店街」は、日本人が引き揚げる際に生活用品を売り叩いたことで生まれた、中古品露店群を起源とする[2]。次第に中古品の街から古書の街となり、露店でなく店舗を構える店も現れた[2]。なかでも松林書局中国語版は、常連客に于右任杜維明台静農中国語版銭穆張大千もいる有名店だった[3]

1970年代以降、古書店街は次第に消滅し、多くの店が光華商場に移転した[2]1991年の映画『牯嶺街少年殺人事件』は、1960年代の牯嶺街を描いており、当時を知る人々にノスタルジーを抱かせた[2]

2000年から毎年11月ごろ、古書店街にあやかったフリーマーケット「牯嶺街書香創意市集」が開催されている[4]

2010年代時点では、古書店は3,4軒しかなく、古銭や古切手を扱う郵幣社の方が多い[2]。その他、郵政博物館牯嶺街小劇場中国語版がある。日本家屋もわずかに残っている[2]。周辺には建国中学台北植物園二二八国家紀念館重慶南路などがある。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』公式サイト”. ビターズ・エンド. 2024年10月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 台湾独立書店文化協会 編著、フォルモサ書院(郭雅暉 ; 永井一広) 訳『台湾書店百年の物語 書店から見える台湾』エイチアンドエスカンパニー、2022年。ISBN 9784990759698 銀色快手中国語版著「牯嶺街の露天古本屋」70-72頁。)
  3. ^ 董婭宇 (2021年2月3日). “大陸人看台灣》蔡老先生與70多年的松林書局” (中国語). 中國時報. オリジナルの2021年9月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210929163147/https://www.chinatimes.com/opinion/20210203000007-262106?chdtv 2021年9月30日閲覧。 
  4. ^ 鍾泓良 (2016年12月5日). “牯嶺街70年書店萌退意 萬卷藏書恐當廢紙” (中国語). 自由時報. オリジナルの2021年9月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210929155833/https://news.ltn.com.tw/news/life/breakingnews/1908299 2021年9月30日閲覧。