浜田義明
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浜田 義明(はまだ よしあき[1]、1902年(明治35年)11月19日[2] - 1987年(昭和62年)[1])は、昭和期の日本の体育教育者・スポーツ指導者。東京高等師範学校在学中[3]の1928年、アムステルダムオリンピックの男子漕艇の日本代表選手の一人となった。
生涯
[編集]高知県出身[4]。1924年(大正13年)、高知師範学校(高知大学教育学部の前身)卒業[2]。1925年(大正14年)、東京高等師範学校体育科に入学[2]。1928年(昭和3年)、アムステルダムオリンピックの男子漕艇の日本代表選手の一人となった[2]。同種目において日本チームは敗者復活戦で敗退した。
1929年(昭和4年)、東京高等師範学校を卒業し、愛媛県師範学校(愛媛大学教育学部の前身)教諭となる[2]。1930年(昭和5年)、高岡高等商業学校(富山大学経済学部の前身)助教授[5]。同校には1932年(昭和7年)まで務め、体育を教えた[6]。
第二次世界大戦後の1949年、東京都のスポーツ担当部局の課長となり、1951年まで務めた[7]。
1983年(昭和58年)、高知県立春野総合運動公園体育館において「高知県スポーツの殿堂」の顕彰が始まった際、浜田は「教育現場で指導者の育成」およびオリンピック出場を功績として、第1回殿堂入り対象者22人のうちの1人に選ばれた[4]。
編著書
[編集]- 学校体育運動に関する法令並に通牒(目黒書店、1939年)[1]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “浜田, 義明, 1902-1987”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス. 国立国会図書館. 2024年6月23日閲覧。
- ^ a b c d e 「浜田義明ヲ高岡高等商業学校助教授ニ任用シ…」, 3/4コマ.
- ^ 中澤篤史 2010, p. 41.
- ^ a b “高知県スポーツの殿堂”. 高知県. 2024年6月23日閲覧。
- ^ 「浜田義明ヲ高岡高等商業学校助教授ニ任用シ…」, 1/4コマ.
- ^ “高岡高等商業学校教官”. 富山大学. 2024年6月23日閲覧。
- ^ 森川貞夫 2000, p. 39.
参考文献
[編集]- 中澤篤史「オリンピック日本代表選手団における学生選手に関する資料検討」『一橋スポーツ研究』第29巻、2010年、37-48頁。
- 森川貞夫「東京高師と日本のスポーツ」『スポーツ社会学研究』、日本スポーツ社会学会、2000年、doi:10.5987/jjsss.8.24。
- 『公文雑纂』(国立公文書館デジタルアーカイブ)
- 「浜田義明ヲ高岡高等商業学校助教授ニ任用シ初任判任官俸給制限外...」『公文雑纂・昭和五年・第二十三巻・初任判任官俸給制限外支給一・...』 。