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瀧澤孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
滝澤孝から転送)

瀧澤 孝(滝沢 孝[1]、たきざわ たかし[2]1937年7月20日[3] - 2018年5月9日)は、ヤクザ静岡県浜松市に本部を置く暴力団芳菱会の総長で、その上部団体にあたる指定暴力団山口組にて最高幹部の一員として若頭補佐・顧問・組長代行などの重役を歴任[4]

幕末から続く國領屋下垂一家(三代目山口組地道組傘下)の8代目総長、瀧澤仁志の弟。同一家で若頭を務めた。1969年地道行雄組長が死去して地道組が解散すると、瀧澤仁志は1971年に三代目山口組の直参に昇格。1981年田岡一雄組長の死後に山口組四代目跡目問題が発生。

1984年、瀧澤仁志の引退を受けて跡を継ぎ、國領屋下垂一家9代目として山口組の直参(二次団体首領)となった[5]五代目体制発足と同時に若頭補佐の役に就いて以降、六代目体制発足後に至るまで同役にあって山口組執行部の一員として活動(この間に國領屋下垂一家を「芳菱会」と改名)。2008年の暮れ(11月20日)をもって同役職を退くとともに顧問・組長代行に就任し執行部から退いた[4]

この執行部からの退席は、持病の肝硬変の治療に専念したいとの申し出を行い、それが承認された結果のものであったと言われている。1990年における山口組のいわゆるブロック制の導入以降、継続してその関東ブロックの長を務めてきたものの、この執行部退席に伴いその役も退任[4]

六代目山口組組長の司忍と同様に、1997年の傘下構成員の拳銃所持事件に由来する共謀共同正犯の罪に問われた。この件では2001年に逮捕・起訴され、一審ならびに二審で無罪を獲得するも、検察側の上告によって最高裁にまで持ち込まれた[4]。結果、最高裁はこの上告を認め、大阪地裁への審理の差し戻しを命令。同地裁で2011年に再び無罪判決が出ている[6]。その後、2度目の二審である大阪高裁は「地裁判決には明らかな事実誤認がある」として地裁への差し戻し判決を言い渡し、2015年には最高裁で上告が棄却され、再び大阪地裁への差し戻しがなされた[7]

2017年3月、大阪地裁は2度目の差し戻し審で懲役6年の有罪判決を言い渡す。その後控訴が行われ、公判が続いていたが、控訴審判決言い渡し予定であった2018年5月9日、病気のため死去した[8]

先代
芳菱会総長
初代: 1991-2008
次代

出典

[編集]
  1. ^ 『山口組幹部無罪判決で控訴=大阪地検』 2004年3月30日 Yahoo!ニュース時事通信
  2. ^ 『Around The World』 1997年11月28日 シアトル・タイムズ (英語) ― 『...Crime-syndicate bosses Takashi Takizawa, 60, and Kenichi Shonoda, 55, were placed on the wanted list on suspicion of violating Japanese gun-control laws, police said...』 ― 『タカシ・タキザワ』
  3. ^ 山口組ドキュメント 五代目山口組:『五代目山口組本家組織図』 (付録),1990年,溝口敦三一書房ISBN 4-380-90223-4
  4. ^ a b c d 六代目山口組完全データBOOK 2008年版:『後藤組長除籍の余波と直参大量処分の真相とは?>09年に向けて動き出した騒動後の組織再編の動き』 (p.135-136) 2009年2月1日 メディアックス ISBN 978-4-86201-358-3
  5. ^ 六代目山口組完全データBOOK 2008年版:『六代目山口組全直参88人完全データ』 (p.4) 2009年2月1日 メディアックス ISBN 978-4-86201-358-3
  6. ^ 『山口組元幹部再び無罪 大阪地裁「証拠関係異なり、拘束されない」』 産経新聞 2011年5月24日
  7. ^ 山口組最高幹部の上告棄却 裁判やり直しへ 産経新聞 2015年3月5日
  8. ^ 山口組の元最高幹部が死亡 差し戻し控訴審の判決前 朝日新聞 2018年5月10日