渡辺光子
渡辺 光子(わたなべみつこ、1906年(明治39年)4月11日 - 2003年(平成15年))は昭和期の歌手。 他に和田春子等、多くの芸名がある。
経歴
[編集]東京都出身。東京高等音楽学院卒業後、東京音楽学校で教鞭をとる傍ら、レコード吹込みを行う。
1932年(昭和7年)には、7月に発売した「旅は青空」、和田春子名義で10月に発売したパーロフォンレコード「幌馬車の唄」、そして渡瀬春枝名義の11月発売「時雨ひととき」(池上利夫(松平晃)「忘られぬ花」B面)がそれぞれ別名で大ヒットを記録した。翌年も「街の流れ鳥」の大ヒットを飛ばすなど数々のヒット曲と共に、その別名の多さで知られた。
また、1937年(昭和12年)7月ポリドールレコード発売の「春の唄」も大ヒットする。この際は、結婚後名前が変わっていたので、月村姓となっている。国民歌謡からのヒット曲である。このように女性歌手では他に例をみない程、数々の芸名を使い分けていた非常に希有な存在の歌手だった。1933年前後が最も多くの名前を使い分けていた時期になる。数あるレコードの中では本人が両面を担当する際、別々の名前で歌い発売することもあった。芸名では他に川島信子、川瀬綾子、川辺綾子、川辺葭子、笹川銀子、島津千代子、田辺光子、月村光子、中村春枝、春海綾子、フローラ瑠璃子、紅小路満子、水野喜代子、水浪澄子などが確認されている。
1931(昭和6)年、電子楽器であるテルミンが日本に初めて輸入された時、聴衆の前でテルミンを演奏したという記録が残されている。また、自身がテルミンについて、音楽誌に述べた記事も現存する。
戦後は、宝塚音楽学校で教鞭を執った。
2003年(平成15年)、死去。享年97。
幌馬車の唄
[編集]昭和7年に発売した「幌馬車の唄」作詞:山田としを 作曲:原野為二は、当時日本統治下の台湾でもヒットして、戦後も愛唱された。侯孝賢監督作品映画「悲情城市」で劇中で歌われ、同監督「好男好女」の原作、藍博洲著『幌馬車の歌』はこの唄がモチーフとなっている。
- 田村志津枝著『悲情城市の人びと 台湾と日本のうた』(晶文社)(1992年)ISBN 978-4794961037
- 藍博洲著『幌馬車の歌』(間ふさ子・妹尾加代・塩森由岐子訳、草風館、2006年)ISBN 978-4883231652
ヒット曲
[編集]- 哀しき口笛(1932年)
- 旅は青空(1932年)大ヒット
- 叱られて(1932年)*川路美子
- かへらぬ恋(1932年)*川路美子
- 幌馬車の唄(1932年)*和田春子、大ヒット
- 時雨ひととき(1932年)*渡瀬春枝、大ヒット
- 強くなってね(1933年)
- 愁ひ(1933年)
- 未來花の歌(1933年)
- 街の流れ鳥(1933年)大ヒット
- 在りし日の君(1933年)*伊達光子
- 嫁ぐ日ちかく(1936年)*月村光子
- 春の唄(1937年)*月村光子、大ヒット
舞台出演
[編集]注
[編集]- ^ 増井敬二・昭和音楽大学オペラ研究所『日本オペラ史 ~1952』(水曜社)p204。