田浦町 (神奈川県)
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(浦郷村 (神奈川県)から転送)
たうらまち 田浦町 | |
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廃止日 | 1933年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 田浦町 → 横須賀市 |
現在の自治体 | 横須賀市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 三浦郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
26,825人 (国勢調査、1930年) |
隣接自治体 |
横須賀市 三浦郡逗子町、葉山町 久良岐郡六浦荘村 |
田浦町役場 | |
所在地 | 神奈川県三浦郡田浦町大字船越字駒寄 |
座標 | 北緯35度18分05秒 東経139度37分45秒 / 北緯35.30125度 東経139.62903度座標: 北緯35度18分05秒 東経139度37分45秒 / 北緯35.30125度 東経139.62903度 |
ウィキプロジェクト |
田浦町(たうらまち)は、神奈川県三浦郡に存在した町。本項では前身の浦郷村(うらごうむら)についても記す。
概要
[編集]神奈川県三浦郡東北部の村。現在の神奈川県横須賀市中心部の北側と久良岐郡(現横浜市)の南端に隣接する。
地理
[編集]歴史
[編集]町名の由来
[編集]- 浦郷村:旧浦之郷村より。
- 田浦町:旧田浦村より。海岸線の入り組んだ地形から「手浦」と呼ばれたとされている。
沿革
[編集]- 鎌倉時代 - 田浦の地名が見られる
- 戦国時代 - 浦之郷の地名が見られる。
- 江戸時代 - 以下の4村が成立。前橋藩は東京湾の海防を担当していた。
- 1868年(明治元年)
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上記4村が合併して浦郷村が成立。大字船越(現船越町六丁目69番の市立船越保育園付近)に村役場を設置。
- 1914年(大正3年)6月1日 - 町制施行のうえ改称し田浦町となる。
- 1926年(大正15年)12月 - 町役場を大字船越字駒寄(現船越町六丁目5番地)に移転。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 横須賀市に編入。同日田浦町廃止。
経済
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、浦郷村の篤農家は「金谷運吉、山代峯太郎、湊彪雄」などがいた[2]。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]京急本線の安針塚駅は未開業。
道路
[編集]- 横須賀街道(現国道16号)
現在の町名
[編集]すべて横須賀市。いずれも大体の範囲。相次ぐ町名変更により旧大字と現行の町の区域は錯綜している。
- 住居表示実施地区:安針台(一部)、湘南鷹取、鷹取、浜見台、船越町八丁目、港が丘
- 住居表示未実施地区:浦郷町、追浜町、追浜東町、追浜本町、追浜南町、田浦町、田浦泉町、田浦大作町、田浦港町、長浦町(一部)、夏島町、箱崎町、船越町一 - 七丁目、吉倉町(一部)
脚注
[編集]- ^ 新編相模国風土記稿 1932, p. 311.
- ^ 『大日本篤農家名鑑』272頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 「衣掛庄 船越新田」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之115村里部三浦郡巻之9、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179240/162。
関連文献
[編集]- “船越新田”. 横須賀市 (2018年8月13日). 2021年7月11日閲覧。
- 「衣掛庄 田浦村/船越新田/長浦村」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之115村里部三浦郡巻之9、雄山閣、1932年8月、310-312頁。NDLJP:1179240/162。