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浅みどり昆布

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅緑昆布から転送)

浅みどり昆布(あさみどりこんぶ)は、江戸時代に日本の陸奥国塩竈村(現在の宮城県塩竈市)の菓子屋兼昆布屋の越後屋が作った食品で、昆布を美しく加工して花のように作ったものである。浅緑昆布とも書く。菓子として食べられた花昆布が精密化した地方名産品である。

概要

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昆布を彩色し、切り込んで花のようにかたどったものである。中納言武者小路公野に「田舎には珍しく優しき細工」[1]と賞されて浅みどり昆布という名を与えられた。江戸時代には塩竈の名産で、「製細く美麗」(『封内土産考』)、「奇品」(『東奥紀行』)などと評された。現在は作られていない。

浅みどり昆布の発祥

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浅みどり昆布を創始したのは、宮城郡内の手樽村出身の越後屋喜三郎とされる。喜三郎は正保年中(1645年から1648年)に塩竈に移り住んで昆布を商い、菓子の製法を習って菓子屋も営み、花昆布も売った[2]

元文4年(1739年)、学問のため京都に逗留することになった藤塚式部を通じて花昆布を中納言武者小路公野に献上した。武者小路は「田舎には珍しく優しき細工」と褒め、花昆布ではなく「浅みどり」と呼ぶようにと言って[3]、息子の実岳に塩竈浦の絵を描かせ、それに自らは筆をとって「ながむれば八十島かけて浅みどり 霞そたてる塩がまのうら」という藤原家衡の古歌を書き入れた[4]。これにより越後屋は花昆布を浅みどり昆布と改め、武者小路からもらった絵を自家に大切に蔵した。

越後屋は仙台藩の領主が鹽竈神社に参詣するたびに浅みどり昆布を献上した。これにより寛保3年(1743年)に伊達吉村から「御用御菓子浅みどり昆布」の看板を与えられ、店に掲げた[5]

塩竈の名産

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浅みどり昆布は越後屋が創始したと言えるが、花昆布は越後屋が創始したものではない[6]。地元には花昆布を作る者が4、5人おり、後に彼らが作ったものも「浅みどり」と称することが許された[7]。とはいえ一般には浅みどり昆布は越後屋のものと認識されていた[8]

浅みどり昆布は仙台から塩竈、松島あたりを旅行した人々の紀行文に記された。天明8年(1788年)に幕府巡検使の従者となった古河古松軒は、『東遊雑記』に武者小路黄門卿(黄門は中納言の唐名)の歌が袋に書かれた浅緑という茶と、美しく彩りいろいろの花の形に作った昆布をすすめられたと記した[9]長久保玄珠の『東奥紀行』も浅緑について記す。

江戸時代の塩竈の名産としては、浅みどり昆布のほかに、唐飴、南京糖十団子藻塩が知られる[10]。藻塩焼きは塩竈の歌枕としての側面と不可分で知名度抜群だったが、この時代には塩竈での製塩は衰え、鹽竈神社で神事として焼かれるほかは細々と生産されるだけだった。唐飴と南京糖は越後屋の菓子である。さらに江戸時代には塩釜が知られていないので、旅行者が接する塩竈名物の食べ物は、浅みどり昆布が第一だったと言ってよい。

脚注

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  1. ^ 『奥塩地名集』に武者小路公野の言葉として「田舎には珍敷優しき細工」とある。他の書にも多少の異同でほぼ同趣旨の言葉が載せられる。
  2. ^ 平重道「近世(伊達藩政時代)の塩竈」、『塩竈市史』第1巻394-397頁。
  3. ^ 『塩釜町方留書』(『塩竈市史』第5巻28頁)、『奥塩地名集』など浅みどり昆布の紹介に必ずといってよいほど付随する。
  4. ^ 『封内土産考』による。『塩釜町方留書』には「なかむれは八十嶋かけて浅ミとりかすみそたてる塩釜の浦」、『奥塩地名集』には「詠れは八十嶋かけて浅みとり 霞そたてる志ほかまの浦」とある。『封内土産考』は正三位宗衡が詠んだ古歌だというが、該当する人物が見当たらないので、「建保三年名所百首 正三位家衡卿」とする『奥羽観蹟聞老志』(『塩竈市史』第5巻446頁)に従う。
  5. ^ 平重道「近世(伊達藩政時代)の塩竈」394-396頁。
  6. ^ 『塩釜町方留書』(『塩竈市史』第5巻101-102頁)に、江戸の花昆布の優品と越後屋のものを比べて優劣がなかったという話がある。
  7. ^ 『塩釜町方留書』(『塩竈市史』第5巻28頁)。
  8. ^ 本項目の参考文献で挙げた近世の史料のうち、他業者の存在に触れたのは『塩釜町方留書』のみである。
  9. ^ むろん昆布のほうが浅みどり昆布で、茶が副であろう。
  10. ^ 『安永風土記書出』「塩釜村風土記御用書出」、『塩竈市史』第5巻313頁。

参考文献

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  • 安永風土記書出』。塩竈村の分は『塩竈市史』第5巻に収録。
  • 奥塩地名集』。『塩竈市史』第5巻に収録。「浅緑昆布」の紹介は『塩竈市史』では第5巻391-392頁。
  • 塩釜町方留書』、江戸時代に塩釜村の村役人が書き継いで編纂した記録。『塩竈市史』第5巻に収録。「浅緑こん布」の紹介は『塩竈市史』では第5巻28頁。
  • 里見藤右衛門『封内土産考』、寛政10年(1800年)。鈴木省三・編『仙台叢書』第1巻、仙台叢書刊行会、1923年に収録。「浅緑昆布」の紹介は『仙台叢書』では第1巻429頁。
  • 塩竈市史編纂委員会・編『塩竈市史』第1巻(本編1)、塩竈市役所、1955年。
  • 塩竈市史編纂委員会・編『塩竈市史』第5巻(資料編1)、塩竈市役所、1965年。
  • 平重道「近世(伊達藩政時代)の塩竈」、『塩竈市史』第1巻所収、1955年。