守山市立河西幼稚園
守山市立河西幼稚園 | |
---|---|
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 守山市 |
設立年月日 | 1956年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒524-0011 |
滋賀県守山市今市町25-1 | |
プロジェクト:学校/幼稚園テンプレート |
守山市立河西幼稚園(もりやましりつ かわにしようちえん)は、滋賀県守山市今市町にある公立幼稚園。守山市立河西小学校と隣接している。
概要
[編集]- 子どもたちに古くから伝わる伝統芸能に親しんでもらおうと、毎年獅子舞を招いている。
沿革
[編集]1954年10月、当時河西村の教育委員長を務めていた順教寺の住職は、住民から保育所開設の要望を受けると、寺の茶所を開放して保育園を開設した。順教寺の山号が「江月山」であったことにちなみ、園は江月保育園と名付けられた。当初は寺のある笠原近隣の幼児約40人を保育していたが、対象を河西全般に拡大してほしいという要望が高まった。このため1955年4月には園舎を河西女子実務裁縫学校内に移し、河西保育園として開園した。しかし今度は幼稚園を希望する声があがった。1955年に河西村が守山町と合併すると、住職は守山町教育委員長に就任、1956年4月には河西保育園は廃園となり、守山町立河西幼稚園が開園することになった[1]。
こうして545㎡の敷地に園舎と運動場が整備され開園、最初の園児は年少組18名、年長組94名の2年保育であった。しかし畳敷きの保育室は子供の激しい動きに耐えられず、1年ほどで床張りへの改修を余儀なくされた。また裁縫学校の間借りであったことから、しばしば園児が裁縫学校に乱入して学業を妨害した[2]。裁縫学校には定規がふんだんにあったことから、この定規を使ったチャンバラごっこが園児の間に大流行した[3]。1958年からは1年保育となり、園児数は減少した[4]。
1962年には新園舎が竣工した[5]。以降、周辺では1971年に垣内団地や川中第一団地、1974年に川中第二団地、1978年に河西ニュータウンの分譲が行われ、園児数は増加していった[6]。保育室の増築も繰り返し実施された[5]。1977年にはそれまで兼任だった園長が専任となり、園長の作詞で園歌が作られたほか、園旗も制定された[7]。
- 1956年(昭和31年) - 河西保育園を幼稚園に切り替えて開園。
- 1962年(昭和37年) - 新園舎竣工。
- 1977年(昭和52年)6月 - 小鳥小屋設置。
- 1986年(昭和61年)9月 - ウサギ小屋設置。
- 1987年(昭和62年)10月 - アヒル小屋設置。
- 1991年(平成3年)9月 - 丸太材の小鳥小屋設置。
- 2004年(平成16年) - 新園舎を建築。
著名な卒業生
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 守山市誌編さん委員会 編「河西幼稚園」『守山市誌 教育編』守山市、1997年、249-259頁。