住吉綱主
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(池原綱主から転送)
時代 | 奈良時代 - 平安時代初期 |
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生誕 | 天平元年(729年) |
死没 | 延暦24年2月10日(805年3月14日) |
別名 | 縄主 |
官位 | 従四位下・近衛少将 |
主君 | 光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 池原公→住吉朝臣 |
住吉 綱主(すみのえ の つなぬし)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。氏姓は池原公のち住吉朝臣。名は縄主とも記される。官位は従四位下・近衛少将。
経歴
[編集]延暦4年(785年)外従五位下・近衛将監に叙任され、同年11月には外従五位上と続けて昇叙される。その後長く近衛将監を務める傍らで、下総大掾・常陸大掾と地方官を兼ね、延暦9年(790年)には内位の従五位下に叙せられている。延暦10年(791年)池原氏・上毛野氏の両氏は豊城入彦命の子孫であること、またその子孫は東国で6系統に分かれ居住地に因んで賜姓を受けていることから、居住地の摂津国住吉郡(現在の大阪市住吉区および住之江区)に因んで住吉朝臣の賜姓を申請し、兄弟1名と共にこれを許されている。
その後、延暦14年(795年)従五位上、延暦18年(799年)正五位下と昇進し、従四位下・近衛少将に至る。 延暦24年(805年)2月10日卒去。享年77。最終官位は散位従四位下。
人物
[編集]弓術が得意であったことから近衛府の官人となり、近衛将曹・近衛将監を歴任した。公務に精勤し、宿衛を怠ることが無く、近衛府の士卒の信頼を得て近衛少将にまで昇った。鷹犬を愛好したという[1]。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:近衛将曹。正六位上
- 延暦4年(785年) 9月8日:外従五位下。10月12日:近衛将監。11月25日:外従五位上
- 延暦8年(789年) 2月4日:兼下総大掾
- 延暦9年(790年) 2月26日:従五位下(内位)
- 延暦10年(791年) 正月22日:兼常陸大掾。4月5日:池原公から朝臣に改姓
- 延暦14年(795年) 10月28日:従五位上
- 延暦18年(799年) 5月8日:正五位下
- 時期不詳:従四位下。近衛少将
- 延暦24年(805年) 正月21日:賜度一人。2月10日:卒去(散位従四位下)
脚注
[編集]- ^ 『日本後紀』延暦24年2月10日条