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住吉綱主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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住吉綱主
時代 奈良時代 - 平安時代初期
生誕 天平元年(729年
死没 延暦24年2月10日805年3月14日
別名 縄主
官位 従四位下近衛少将
主君 光仁天皇桓武天皇
氏族 池原公住吉朝臣
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住吉 綱主(すみのえ の つなぬし)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族氏姓池原公のち住吉朝臣。名は縄主とも記される。官位従四位下近衛少将

経歴

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延暦4年(785年従五位下近衛将監に叙任され、同年11月には外従五位上と続けて昇叙される。その後長く近衛将監を務める傍らで、下総大掾常陸大掾と地方官を兼ね、延暦9年(790年)には内位の従五位下に叙せられている。延暦10年(791年池原氏上毛野氏の両氏は豊城入彦命の子孫であること、またその子孫は東国で6系統に分かれ居住地に因んで賜姓を受けていることから、居住地の摂津国住吉郡(現在の大阪市住吉区および住之江区)に因んで住吉朝臣の賜姓を申請し、兄弟1名と共にこれを許されている。

その後、延暦14年(795年)従五位上、延暦18年(799年正五位下と昇進し、従四位下・近衛少将に至る。 延暦24年(805年)2月10日卒去享年77。最終官位散位従四位下。

人物

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弓術が得意であったことから近衛府官人となり、近衛将曹・近衛将監を歴任した。公務に精勤し、宿衛を怠ることが無く、近衛府の士卒の信頼を得て近衛少将にまで昇った。鷹犬を愛好したという[1]

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『日本後紀』延暦24年2月10日条

参考文献

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