茨城県立水戸農業高等学校
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(水戸農業高等学校から転送)
茨城県立水戸農業高等学校 | |
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北緯36度25分34.0秒 東経140度28分16.7秒 / 北緯36.426111度 東経140.471306度座標: 北緯36度25分34.0秒 東経140度28分16.7秒 / 北緯36.426111度 東経140.471306度 | |
過去の名称 |
茨城県中央農事講習所 茨城県簡易農学校 茨城県農学校 茨城県立農学校 茨城県立水戸農学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 茨城県 |
設立年月日 | 1895年4月1日 |
創立記念日 | 4月26日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
(全日制) 農業科 園芸科 畜産科 農業土木科 食品化学科 農業経済科 生活科学科 (昼間定時制) 農業科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D108222600016 |
高校コード | 08123A |
所在地 | 〒311-0114 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
茨城県立水戸農業高等学校(いばらきけんりつ みとのうぎょうこうとうがっこう)は、茨城県那珂市に所在する公立の農業高等学校。略称は「水農(すいのう)」。
以前は水戸市内にあったが那珂市に移転し、旧校地には茨城県立歴史館が建つ(同館敷地には「旧水戸農業高等学校本館」が保存されている)[1]。また、茨城県内では水戸第一高校の次に古い高校である。
沿革
[編集]- 1895年(明治28年)
- 1896年(明治29年)4月1日 - 茨城県簡易農学校に改称。
- 1899年(明治32年)5月27日 - 茨城県農学校に改称。
- 1900年(明治33年)6月13日 - 水戸市緑町の新校舎に移転。
- 1901年(明治34年)5月30日 - 茨城県立農学校に改称。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 茨城県立水戸農学校に改称。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、茨城県立水戸農業高等学校に改称。
- 1950年(昭和25年)4月11日 - 東茨城郡石塚町に石塚分校を設置[3]。昼間定時制農業科、定員50名。
- 1959年(昭和34年)4月 - 石塚分校に全日制普通科を設置し、定時制農業科募集停止[4]。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 石塚分校が独立し、茨城県立常北高等学校となる。
- 1970年(昭和45年)2月18日 - 那珂市東木倉(現在地)に移転完了。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 農蚕科募集停止。
- 1989年(平成元年)4月1日 - 農業経済科新設。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 生活科募集停止、生活科学科新設。
- 1995年(平成7年)11月7日 - 創立100周年記念式典。
部活動
[編集]- 運動部
- 相撲部、硬式野球部、ラグビー部、サッカー部、柔道部、卓球部、体操部、ソフトテニス部、バレーボール部、剣道部、陸上競技部、ゴルフ部、馬術部、硬式テニス部、バスケットボール部、定時制運動部、水泳部
- 文化部
- 文芸部、書道部、音楽部、写真部、インターアクト部、軽音楽部、映画研究部、図書部、将棋・囲碁部、茶道部、JRC部、美術部、陶芸クラブ、国際教育部、ワープロ簿記部
著名な出身者
[編集]- 大高松男(元衆議院議員)
- 武双山正士(大相撲元大関 現・藤島親方)
- 雅山哲士(大相撲元大関 現・二子山親方)
- 川島義明(元陸上競技長距離走選手)
- 飯島秀雄(元プロ野球選手・陸上競技短距離走選手)※中退
- 中村均(柔道家)
- 駒木根葵汰(俳優)
- 立花留治(日立市長)
脚注
[編集]- ^ 木村(2011):57ページ
- ^ “学校沿革”. 茨城県立水戸農業高等学校. 2024年1月18日閲覧。
- ^ “DAILY NEWS(4~9月)”. 茨城県立水戸桜ノ牧高等学校常北校 (2021年6月24日). 2024年1月18日閲覧。
- ^ 茨城県立水戸桜ノ牧高等学校常北校 2024学校案内 (PDF)
参考文献
[編集]- 木村秀弘(2011)"茨城県立歴史館の被災について"アーカイブズ(国立国会図書館).45:56-58.