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三遊亭圓太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橘家圓太から転送)

三遊亭 圓太(さんゆうてい えんた)は、落語名跡。過去に六人確認されている、三遊派の前座名の一つ。初代三遊亭圓生の門人の初代古今亭志ん生が名乗った経緯もある由緒ある名前。


六代目 三遊亭さんゆうてい 圓太えんた
六代目 三遊亭(さんゆうてい) 圓太(えんた)
本名 藤生ふじう すすむ
生年月日 1932年9月25日
没年月日 (2023-09-25) 2023年9月25日(91歳没)
出身地 日本の旗 日本群馬県
師匠 四代目三遊亭圓馬
名跡 1. 三遊亭新馬
(1956年 - 1959年)
2. 六代目三遊亭圓太
(1959年 - 2023年)
出囃子 草津節
活動期間 1956年 - 1995年
配偶者 あり
所属 日本芸術協会
落語芸術協会
公式サイト 三遊亭 圓太
備考
2020年より落語芸術協会会友(事実上の引退)

三遊亭 圓太(さんゆうてい えんた、1932年9月25日 - 2023年9月25日[1])は、群馬県新田郡笠懸村(現・みどり市)出身の落語家落語芸術協会所属(会友)。本名∶藤生 進出囃子は『草津節』。

経歴

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  • 1956年2月 - 四代目三遊亭圓馬に入門、「新馬」を名乗る。
  • 1959年10月 - 二ツ目昇進、「圓太」を襲名。
  • 1973年10月 - 春風亭栄橋と共に真打昇進。
  • 1995年頃より病気のため高座を退いていたが、2023年12月に死去が判明した。91歳没[2][3]。2024年3月の落語芸術協会プロフィールの更新により、2023年9月25日に死去したとされる[1]

人物

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  • 落語よりも色物として「南京玉簾」、「影絵」等をやっていた。
  • 1985年の段階で「副業が忙しく」寄席への出演機会が少なかったとされる[4]。三河島で「季節料理、おにぎりの店 円太」を経営していたが[3]、病気のため妻が切り盛りしていた。
  • 2020年の落語芸術協会内の香盤の整理により、通常の香盤から外れて「会友」に移行している。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 三遊亭圓太 - 協会員プロフィール 故人”. 落語芸術協会 (2024年3月20日). 2024年3月21日閲覧。
  2. ^ 「桂文治師匠のポストによると、落語芸術協会の三遊亭圓太師匠が亡くなられたとのこと。 ずっと寄席には出られておらず、会友として所属されていました。 おそらく落語芸術協会からもアナウンスがあると思われます。」 / X
  3. ^ a b 『東京かわら版 2024年2月号』 34ページ。
  4. ^ 弘文出版『落語』1985年第23号 P16より。

外部リンク

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