楯岡城
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楯岡城(たておかじょう)は、山形県村山市楯岡楯にあった日本の城(中世の山城跡)。
歴史・沿革
[編集]- 承元2年(1208年)、前森氏の築城とされる。
- 弘長元年(1261年)に本城氏が入り、応永十三年(1406年)に最上満直の四男、楯岡満国が入った。のちに最上義光の弟楯岡光直が城主となるが、光直は義光の死後最上家家臣と跡目相続で対立し、それが原因で元和8年(1622年)に最上氏は改易となり、楯岡城も廃城となった。
- 現在は、一部が東沢公園として整備され、ハイキングコースとなっている。
歴代城主(現地説明看板による)
[編集]- 前森氏
- 初代 今嶺守
- 二代 泰嶽守
- 三代 泰院守
- 四代 下綱守
- 本城氏
- 初代 関山守
- 二代 涼山守
- 三代 泰国守
- 四代 風国守
- 五代 安国守
構造
[編集]根小屋式山城である。
山城部分は、東西400メートル、南北200メートルに及ぶ西楯山と、東西200メートル、南北150メートルの中楯山からなり、周囲を断崖絶壁で囲まれた要害である。
根小屋となる城主居館は山の南側、現在村山市立楯岡小学校がある地域にあったらしい。
考古資料
[編集]遺構
[編集]山の頂上部とその周辺に郭が存在し、南側斜面に石垣が残っている。