藤井貞寿
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(桐原貞寿から転送)
藤井 貞寿(ふじい さだとし、明治28年(1895年)月3日4[要校閲] - 昭和19年(1944年)9月9日)は、日本の陸軍軍人。旧姓は桐原で、張作霖爆殺事件を実行。独立工兵第56大隊長・第2野戦船舶廠長を務め、ペリリュー島において戦死を遂げる。階級は陸軍大佐。
昭和5年5月16日陸軍工兵中尉桐原貞寿→藤井に改姓[1]。
経歴
[編集]静岡に生まれ、陸軍士官学校予科で学ぶ。大正10年3月予科を卒業し士官学校本科に進む。
大正12年7月士官学校(35期)を卒業し、同10月陸軍工兵少尉に任官され工兵第20大隊附を命ぜられる。大正15年10月工兵中尉に進級し、昭和8年8月工兵大尉に進む。この間昭和3年6月4日奉天近郊で起きた張作霖爆殺事件では爆弾設置を行ったという。
昭和9年3月工兵第20大隊中隊長を命ぜられ、昭和11年8月父島要塞司令部員に変わる。翌年3月から要塞副官に進み、昭和13年7月には工兵少佐に進級する。昭和17年4月独立工兵第56大隊長を命ぜられ、昭和18年3月中佐に進級する。
昭和18年4月から第2野戦船舶廠長を務め、昭和19年7月第31軍司令部附に移る。昭和19年9月9日ペリリュー戦において戦死、陸軍大佐に進級する。
参考文献
[編集]- 秦郁彦『日本陸海軍総合事典』ISBN 4130301357
- 秦郁彦『昭和史の謎を追う』上 ISBN 4167453045
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 昭和5年7月21日 官報第1067号