長野県松本工業高等学校
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長野県松本工業高等学校 | |
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北緯36度13分35.6秒 東経137度59分18.3秒 / 北緯36.226556度 東経137.988417度座標: 北緯36度13分35.6秒 東経137度59分18.3秒 / 北緯36.226556度 東経137.988417度 | |
過去の名称 | 長野県松本工業学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長野県 |
学区 | 第4学区 |
設立年月日 |
1939年4月 (長野県松本工業学校) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
全日制課程 機械科 電気科 電子工業科 |
学校コード | D120220200045 |
高校コード | 20172D |
所在地 | 〒390-8525 |
長野県松本市筑摩四丁目11番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長野県松本工業高等学校(ながのけん まつもとこうぎょうこうとうがっこう)は、長野県松本市筑摩四丁目にある県立工業高等学校。通称は「松工」(まつこう 若しくは まっこう)。文化祭は「松工祭」と称し、その名称は校名に由来する。
沿革
[編集]- 1939年(昭和14年)4月1日 - 長野県松本工業学校として開校。本科に機械科、電気科を第二本科に機械科、電気科を設置。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 本科に精密機械科、第三本科に電気科を設置。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 精密機械科と機械科を統合。本科機械科、同電気科、第二本科機械科、同電気科に再編。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、長野県松本工業高等学校となる。全日制に機械工作課程、電力課程と定時制に機械工作課程、電力課程を設置。
- 1955年(昭和30年)8月1日 - 全日制、定時制とも機械工作課程を機械課程に、電力課程を電気課程に改称。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 全日制に電子工業課程を設置。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 機械、電気、電子工業課程をそれぞれ機械科、電気科、電子工業科に改称。
- 2007年(平成19年)4月1日 - 定時制課程の生徒募集停止。定時制課程は2009年度末に松本筑摩高校に統合された。2010年3月2日に閉課程式が行われた。
教育目標
[編集]- 自主的で協調性があり、公民的生活のできる人をつくる。
- 質実で礼儀を重んずる態度と、奉仕の精神を育成する。
- 保健衛生及び職場の安全に留意する習慣をつけさせる。
- 実験実習を通じて勤労を愛好し、責任を重んずる習慣を養わせる。
- 科学技術に関する研究心を高揚し、工夫創造の能力を啓培する。
- 生徒自身による自律活動を重んじ、積極的に義務を遂行する精神を育成する。
- 一般教養を身につけ豊かな人間性をつちかい、潤いある社会生活のできる素地を涵養(かんよう)する。
著名な出身者
[編集]- 北沢清功 - 政治家
- 御子柴進 - プロ野球選手(元阪神)
- 丑山努 - プロ野球選手(元日本ハム)※定時制在学、3年修了時に転校
- 柿田裕太 - プロ野球選手(元横浜)
- 百瀬治彦 - ジャスピンコニカ開発(小西六写真工業エンジニア)
校章
[編集]部活動
[編集]2022年現在、23の部活動がある。[1]
- 硬式野球部
- 第92回全国高校野球選手権長野大会に優勝し、初の甲子園出場を果たしている。
- 軟式野球部
- サッカー部
- バレーボール部
- バスケ部
- テニス部
- ソフトテニス部
- 卓球部
- バドミントン部
- 柔道部
- 剣道部
- 陸上競技部
- 自転車競技部
- 全国からも強豪校として知られており、国民体育大会やインターハイにも出場している。また、県内の競輪選手の多くは松本工業高校のOBである。
- 水泳部
- 原動機部
- 機械工学部
- 電気工学部
- 電子工学部
- 電気通信部 (電気工事班・山岳班)
- 写真部
- 軽音楽部
- インターアクト部
- 科学部
空手部は2021年に廃部した。[1]
2022年現在、2つの同好会がある。[1]
- 漫画研究部
- 囲碁将棋部
校歌・応援歌
[編集]- 校歌
- 応援歌
いけ堂々、赤き甍の学舎に、たなおろし、
最寄駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “説明会 - 長野県松本工業高等学校”. www.nagano-c.ed.jp. 2022年11月11日閲覧。