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オランダ領東インド総督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東インド総督から転送)
オランダ領東インド
総督
オランダ領東インド総督の旗と長旗
初代総督ピーテル・ボウス
庁舎ムルデカ宮殿バタヴィア
任命オランダ東インド会社 (1610–1800)
オランダ政府 (1800–1949)
創設1610年
初代ピーテル・ボウス英語版
最後トニー・ローフィンク英語版
廃止1949年
継承インドネシアの大統領

オランダ領東インド総督(オランダりょうひがしインドそうとく、: gouverneur-generaal van Nederlands Indië)は、1610年から1949年にオランダがインドネシア独立を承認するまでオランダ領東インドを統治した総督である[注釈 1]

歴史

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最初の総督はオランダ東インド会社に任命された。オランダ東インド会社が1800年に解散すると、旧領はオランダ領東インドとして国有化され、総督はオランダの君主あるいは政府に任命された。オランダ東インド会社時代の総督は東インドに定住した入植者だったが、オランダ領東インド時代のほとんどの総督は国外に出張したオランダ人だった。

イギリスの支配下における同等の役職は副総督であり、中でも有名なのがトーマス・ラッフルズである。日本占領下の1942年から1945年までフベルトゥス・ファン・モーク英語版が名目上の総督だった。1948年以降の独立交渉では同等の役職がオランダ領東インド高等弁務官となった。

総督の立場

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バタビアの総督宮殿(1880–1900)
人民評議会の開会式 (1918年5月18日)

オランダ東インド会社時代から、総督が東インド諸島における最高権力者であり、オランダ領東インド時代の総督は、植民地の最高行政官最高司令官だった。1903年まで、役人と組織は総督の正式な代理人で、予算は総督の集中管理により決まっていた[1]

総督はオランダ海上帝国と君主を代表し、植民地において最も影響力があり、1815年まで出版に対する絶対的な禁止、検閲、制限の権限を持ち、また「法外な権限」と呼ばれるものを行使して、反体制的で平和と秩序に対して危険であると見なした者を裁判を経ずに追放できた[2]

1848年まで総督は直接オランダの君主により任命され、後年にはオランダ政府の助言に基づいて君主に任命されていた。2つの期間(1815–1835、1854–1925)において、総督はインド理事会と共同で統治した。

全体的な植民地の政策と戦略はハーグの植民地省の管轄であり、しばしば元総督が大臣を務めていた。植民地省は1815年から1848年まで君主が直接管轄していた。20世紀にはオランダ本国とは異なる州として発展しており、1903年に財政的に分離され、1913年には植民地の公債が発行され、ハッジのためにサウジアラビアと準外交的な関係を結んだ。1922年には、植民地省は残るものの、憲法において本国と対等になった[3]

1918年、ヨハン・ポール総督により「フォルクスラード」(Volksraad)と呼ばれる人民評議会が設置された。民主主義的な議会の初期の形式であり、助言する役割に限定され、住民の一部しか選挙に投票できなかった。現地民30人、オランダ人25人、中国人他5人からなり、4年ことに再構成された。1925年に準立法機関になり、総督は重要項目においてフォルクスラードに諮ることになっていた[4]

歴代の総督一覧

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東インド会社の任命

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オランダ東インド会社 (VOC)
代数 画像 氏名 就任 退任
1 ピーテル・ボウス英語版 1610年 1614年
2 Gerard Reynst英語版 1614年 1615年
3 ローレンス・リール英語版 1615年 1619年
4 ヤン・ピーテルスゾーン・クーン 1619年 1623年
5 ピーテル・デ・カーペンティア英語版 1623年 1627年
6 ヤン・ピーテルスゾーン・クーン 1627年 1629年
7 ヤックス・スペックス 1629年 1632年
8 ヘンドリック・ブラウエル 1632年 1636年
9 アントニオ・ヴァン・ディーメン 1636年 1645年
10 Cornelis van der Lijn英語版 1645年 1650年
11 Carel Reyniersz英語版 1650年 1653年
12 ジョアン・マエツイッカー英語版 1653年 1678年
13 ライクロフ・フォン・フーンス英語版 1678年 1681年
14 コルネリス・スピールマン英語版 1681年 1684年
15 ヨハネス・カンフフイス 1684年 1691年
16 Willem van Outhoorn英語版 1691年 1704年
17 ジョアン・ファン・ホールン英語版 1704年 1709年
18 Abraham van Riebeeck英語版 1709年 1713年
19 Christoffel van Swoll英語版 1713年 1718年
20 Hendrick Zwaardecroon英語版 1718年 1725年
21 マテウス・デ・ハーン英語版 1725 1729
22 Diederik Durven英語版 1729年 1732年
23 ディルク・ファン・クローン英語版 1732年 1735年
24 アブラハム・パトラ英語版 1735年 1737年
25 アドリアーン・ファルケニール英語版 1737年 1741年
26 ヨハネス・テーデンス英語版 1741年 1743年
27 グスタフ・ウィレム・ファン・イムホフ英語版 1743年 1750年
28 ジェイコブ・モセル英語版 1750年 1761年
29 ペトリュス・アルバートゥス・バン・デル・パーラ英語版 1761年 1775年
30 Jeremias van Riemsdijk英語版 1775年 1777年
31 Reynier de Klerck英語版 1777年 1780年
32 Willem Arnold Alting英語版 1780年 1796年

政府の任命

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オランダ領東インド
代数 画像 氏名 就任 退任 君主
1 Pieter Gerardus van Overstraten英語版 1796年 1801年
バタヴィア共和国
(1795年1月19日 – 1806年6月5日)
2 Johannes Siberg英語版 1801年 1805年
3 Albertus Henricus Wiese英語版 1805年 1806年
French Interregnum in the Dutch East Indies under the Kingdom of Holland (1806–1811)
3 Albertus Henricus Wiese英語版 1806年 1808年
ローデウェイク1世
ボナパルト朝
(1806年6月5日 – 1810年7月1日)
4 Herman Willem Daendels英語版 1808年 1811年

ローデウェイク2世
ボナパルト朝
(1810年7月1日 – 1810年7月9日)

ナポレオン1世
ボナパルト朝
(1810年7月9日 – 1811年)
5 Jan Willem Janssens英語版 1811年 1811年
British Interregnum in the Dutch East Indies (1811–1816)
Robert Rollo Gillespie英語版

Acting General

1811年 1811年
ジョージ3世
ハノーヴァー朝
(1811年 – 1816年)
6 トーマス・ラッフルズ 1811年 1816年
7 John Fendall Jr.英語版 1816年 1816年
Dutch Regain Full Control of Dutch East Indies, with three joint Commissioners-General of the Dutch East Indies
8 Cornelis Theodorus Elout英語版 1816年 1819年
ウィレム1世
オラニエ=ナッサウ家
(1816年 – 1840年10月7日)
Godert van der Capel英語版
Arnold Adriaan Buyskes英語版
Cornelis Theodorus Elout and Arnold Adriaan Buyskes leave
9 Godert van der Capel英語版 1819年 1826年
ウィレム1世
オラニエ=ナッサウ家
(1816年 – 1840年10月7日)
10 Leonard du Bus de Gisignies英語版

De jure Governor-General

1826年 1830年
Hendrik Merkus de Kock英語版

Lieutenant Governor-General

11 ヨハネス・ファン・デン・ボス 1830年 1833年
12 Jean Chrétien Baud英語版 1833年 1836年
13 Dominique Jacques de Eerens英語版 1836年 1840年
Carel Sirardus Willem van Hogendorp英語版

Acting

1840年 1841年

ウィレム2世
オラニエ=ナッサウ家
(1840年10月7日 – 1849年3月17日)
14 Pieter Merkus英語版 1841年 1844年
Joan Cornelis Reynst英語版

Acting

1844年 1845年
15 Jan Jacob Rochussen英語版 1845年 1851年

ウィレム3世
オラニエ=ナッサウ家
(1849年3月17日 – 1890年11月23日)
16 Albertus Jacobus Duymaer van Twist英語版 1851年 1856年
17 Charles Ferdinand Pahud英語版 1856年 1861年
18 Ludolph Anne Jan Wilt Sloet van de Beele英語版 1861年 1866年
19 Pieter Mijer (governor)英語版 1866年 1872年
20 James Loudon (politician)英語版 1872年 1875年
21 Johan Wilhelm van Lansberge英語版 1875年 1881年
22 Frederik s'Jacob英語版 1881年 1884年
23 Otto van Rees英語版 1884年 1888年
24 Cornelis Pijnacker Hordijk英語版 1888年 1893年

ウィルヘルミナ
オラニエ=ナッサウ家
(1890年11月23日 – 1948年9月4日)
25 Carel Herman Aart van der Wijck英語版 1893年 1899年
26 Willem Rooseboom英語版 1899年 1904年
27 Johannes Benedictus van Heutsz英語版 1904年 1909年
28 Alexander Willem Frederik Idenburg英語版 1909年 1916年
29 Johan Paul van Limburg Stirum英語版 1916年 1921年
30 Dirk Fock英語版 1921年 1926年
31 Andries Cornelis Dirk de Graeff英語版 1926年 1931年
32 Bonifacius Cornelis de Jonge英語版 1931年 1936年
33 アリディウス・チャルダ・ファン・スタルケンボルフ・スタハウェル 1936年 1942年
Hubertus van Mook英語版

Acting

1942年 1948年
Louis Beel英語版

High Commissioner of the Dutch East Indies

1948年 1949年
ユリアナ
オラニエ=ナッサウ家
(1948年9月4日 – 1949年12月27日)
Tony Lovink英語版

High Commissioner of the Crown in the Dutch East Indies

1949年 1949年


脚注

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注釈

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  1. ^ 1942年から1945年まで日本に占領され、1949年までインドネシア独立戦争が続いた。インドネシアは1945年4月17日に独立を宣言した。

参考文献

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  • Cribb, Robert & Kahin, Audrey (2004). Historical dictionary of Indonesia (2nd ed.). Lanham, Md.: Scarecrow Press. ISBN 0-8108-4935-6 
  • Ricklefs, M.C. (1991). A History of Modern Indonesia Since c.1300 (2nd ed.). London: MacMillan. ISBN 0-333-57689-6 
  • van der Wal, S.L. (1965) (オランダ語). De Volksraad en de staatkundige ontwikkeling van Nederlandsch-Indië [The Peoples Council and the political development of the Netherlands-Indies]. Leiden: J.B. Wolters 

外部リンク

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