イ・グムヒ
イ・グムヒ | |
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プロフィール | |
生年月日 | 1966年12月12日(57歳) |
最終学歴 | 淑明女子大学校 政治外交学科 |
勤務局 | KBS |
活動期間 | 1989年 - |
担当番組・活動 | |
イ・グムヒ | |
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各種表記 | |
ハングル: | 이금희 |
漢字: | 李錦姬 |
発音: |
イグムヒ イグミ |
イ・グムヒ[1](李錦姬[2]、ハングル表記:이금희、1966年12月12日 - )は、大韓民国のアナウンサー[3]。2000年まで韓国放送公社(KBS)に所属した[3]。
経歴
[編集]初等学校在学中、KBSの子供向け童謡番組『ヌガヌガ チャラナ』に出場する友人とともに放送局に出かけた際に見かけたアナウンサーに感化され、アナウンサーを目指すようになった[4]。中学校、高等学校でも放送係を務めた[5]。就職先にも放送局を選び、1988年10月のKBS第15期試験では合格できなかったものの、1989年の公開採用16期で採用された[6]。入局して担当した番組は、アナウンサー志望のきっかけとなった『ヌガヌガ チャラナ』を改題した『全国子供童謡大会』であった[4]。
1991年からは農家向け番組『6時 わが故郷[7](6시 내고향)』を担当した。外部のタレントを起用する番組が増え始めた時勢の中で、局のアナウンサーとして存在感を示し[8]、3年5箇月にわたって進行を担当した[9]。1998年からFMで担当した1970年代から1980年代の曲を取り上げる音楽番組は、若者向け番組とは異なる落ち着いた司会で注目を集めた[10]。1997年には韓国アナウンサー連合会が選定するアナウンサーの賞を受賞[11]、1998年には韓国放送大賞で個人賞を受賞した[12][13]。
1998年6月から『아침마당(朝の広場)』の進行役を担当し、以降18年間進行役を務めた[14]。活動の幅も広がり、1999年には母校の淑明女子大学校の言論情報学部で兼任教授として教壇に立つことになり[15]。放送関連の講義を受け持った。1999年にはエッセイ集も出版した[16]。
2000年にフリー宣言を行い[17]、他局にも出演するようになった。2001年3月に開局した国楽FM放送では開局時から番組を持った[18]。2005年にはMBCのクイズ番組の司会に起用された[19]。この年にKBSが復活させたインタビュー番組『パワーインタビュー』の進行にも起用された[20]。以前から担当している番組も、FMの音楽番組が2004年に放送2000回[21]、『朝の広場』も担当以前の番組開始時から数えて4000回に達した[22]。
2002年には淑明女子大学校出身のジャーナリストの親睦団体を設けるとともに、同校学生の業界進出を支援するアカデミーを作った。2003年同校卒のSBSのチョン・ミソンがこのアカデミーの最初の受講生であるほか、2015年には地上波3局の夜のニュースに出演する女性アナウンサー全員が同校出身者で占めることになった[23]。
学歴
[編集]出身校の東明女子高等学校は放送関係者を多数輩出している[24]。
表彰
[編集]- 1998年: 第25回韓国放送大賞[12][13]
- 2000年2月: 第13回キリスト教文化大賞 - 番組『사랑의 리퀘스트』の進行に対して[25]
- 2001年10月: 第38回貯蓄の日 国務総理表彰 - KBS入局時から毎月収入の一定割合を積立する貯蓄を行ったとして[26]
脚注
[編集]- ^ 泣かないで、トーンズ「ナレーション:イ・グムヒ」KBS World. 2021年7月3日閲覧。
- ^ 이금희(李錦姬) 中央日報。2021年7月3日閲覧。
- ^ a b 김미영「“나이먹는 게 좋아…다르게 볼 수 있으니”」『한겨레』2005年11月25日付。
- ^ 김병후의 여성탐구 방송인 이금희씨
- ^ 「‘마흔잔치’ 시작하는 이금희 아나운서」『서울신문』2006年3月8日付14面。
- ^ 番組名の訳語は(朝倉敏夫「現代韓国社会における〈伝統文化〉の研究の現状と展望」『国立民族学博物館研究報告』第17巻第4号、国立民族学博物館、1993年3月、809-850頁、CRID 1390009224820397440、doi:10.15021/00004235、hdl:10502/3057、ISSN 0385-180X。)843ページの用例による。
- ^ 「아나운서 「설땅」이 없다/연예인에 뺏기고/외부인에 내주고」『국민일보』1992年11月14日付。
- ^ 최승현 「KBS ‘6시 내고향’ 3000회――농어민·도시인들에 실질적 도움 주는 가교」『朝鮮日報』2004年3月27日付A25面。
- ^ 이영희「오후4시 라디오 女트로이카 ‘불꽃 경쟁’」『文化日報』2002年5月13日付23面。
- ^ 「97한국아나운서대회에서 대상 수상하는 이금희 KBS아나운서」『KBS NEWS』1997年11月29日。
- ^ a b 「한국방송대상에 "용의 눈물" 수상」『KBS NEWS』1998年9月3日。
- ^ a b 「「용의 눈물」 한국방송대상 받아」『朝鮮日報』1998年8月8日付13面。
- ^ 「이금희 프리랜서 선언」『朝鮮日報』2000年10月5日付37面。
- ^ 라동철「이인용앵커, 숙대강단에 선다」『국민일보』1999年2月25日付。
- ^ 윤정훈 「아나운서 이금희 에세이집 “나는 튀고 싶지 않다”」『국민일보』1999年6月14日付。
- ^ 양지호「'아침마당' 안주인 이금희, 18년 만에 떠난다 제작비 감축 여파로 하차」『朝鮮日報』2016年6月30日付A25面。
- ^ 김용운「내일 개국 ‘국악 FM방송’ 10개 프로 하루 21시간 전파」『朝鮮日報』2001年3月1日付23面。
- ^ 「이금희, MBC 새 퀴즈프로 진행」『朝鮮日報』2005年1月18日付B11面。
- ^ 홍성록「이금희 아나운서 ‘파워 인터뷰’ 진행」『한겨레』2005年10月27日付。
- ^ 최승현 「‘이금희의 가요…’ ‘황정민의 FM…’ 내일 함께 2000회 진행 맞아」『朝鮮日報』2004年4月1日付C5面。
- ^ 최승현 「21일 4000회 맞는 KBS ‘아침마당’」『朝鮮日報』2004年5月14日付C5面。
- ^ 권세진「방송가 아나운서 ‘숙명천하’ 이유는?」『月刊朝鮮』第425号、2015年8月。
- ^ a b 「TV하이라이트 방송인 배출 많은 동명여고 ◉도전, 골든벨(KBS2 오후 6시30분)」『매일신문』2001年6月29日付19面。
- ^ 「13회 기독교문화대상 7개부문 수상자 발표」『국민일보』2000年1月20日付。
- ^ 김용석「밥값 아껴서 모은돈 소년소녀가장 후원」『경향신문』2001年10月26日付。