コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

朱載壡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朱載エイから転送)

朱 載壡(しゅ さいえい、嘉靖15年10月6日1536年10月20日) - 嘉靖28年3月17日1549年4月14日))は、皇族。諡号は荘敬太子。

生涯

[編集]

第12代皇帝嘉靖帝の次男。母は王皇貴妃。

4歳のときに皇太子となり、監国にも任命された。父の嘉靖帝は道教などの迷信を信じて国政を顧みなかったため、朱載壡は早くから国政を代行したという。

1549年、14歳のときに太廟が完成した際、父帝の代わりに祭祀を主宰したが、その2日後に急死したという。

参考文献

[編集]