印西市立本埜第二小学校
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印西市立本埜第二小学校 | |
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北緯35度49分38.72秒 東経140度12分52.98秒 / 北緯35.8274222度 東経140.2147167度座標: 北緯35度49分38.72秒 東経140度12分52.98秒 / 北緯35.8274222度 東経140.2147167度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 印西市 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 2019年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒270-2322 |
千葉県印西市笠神1745 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
印西市立本埜第二小学校(いんざいしりつ もとのだいにしょうがっこう)は、かつて千葉県印西市笠神にあった公立小学校。
概要
[編集]学校の周辺は印旛沼の水を利用した稲作が盛んな田園地帯である。冬になると近くの田んぼに1000羽をこえる白鳥が飛来する[1]。
沿革
[編集](この節の出典[2])
- 1873年(明治6年)3月 - 監新田の蜜蔵院を仮校舎に定め、将監小学校が創立。児童50名、教師1名。
- 1891年(明治24年)12月 - 埜原村松木新田20番地に校舎を新築。村立埜原尋常小学校と改称。
- 1912年(大正2年)4月 - 埜原村と本郷村が合併し、本埜村が発足したのにともない、本埜村立本埜尋常小学校と改称。(児童数141名)
- 1922年(大正11年)12月 - 笠神1745番地に新校舎建築起工式。(児童数161名)
- 1923年(大正12年)5月 - 現在地に校舎を新築、移転。
- 1941年(昭和16年)4月 - 本埜村立本埜第二国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月 - 本埜村立本埜第二小学校と改称。(児童数332名)
- 2010年(平成22年)3月 - 本埜村が印旛村とともに印西市に編入したのにともない、印西市立本埜第二小学校と改称。
- 2019年(平成31年)3月 - 本埜第一小学校と統合し本埜小学校が開校したのにともない、閉校。
学区
[編集]笠神の一部、1区の一部、2区、3区、和、4区、5区、6区、7区[3]
進学
[編集]脚注
[編集]- ^ 印西市立本埜第二小学校、2013-07-03閲覧。
- ^ 沿革 - 本埜第二小学校。2020年4月13日閲覧。
- ^ 印西市立小・中学校の通学区域、2013-07-03閲覧。