中川静子
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(木屋明子から転送)
中川 静子 (なかがわ しずこ) | |
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ペンネーム | 木屋 明子、栃之瀬あき |
誕生 |
1919年(大正8年)3月22日 徳島県 麻植郡 東山村 (現・吉野川市) |
死没 | 1994年1月27日(74歳没) |
職業 | 小説家、ルポライター、郷土史作家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | |
活動期間 | 1960年 - 1990年 |
ジャンル | 小説、エッセイ、ルポ、郷土歴史、作詞 |
代表作 |
「幽囚転転」「小少将」 「鬼にもあらで」「藍師の家」 |
主な受賞歴 |
第25回オール讀物新人賞「幽囚転転」(昭和39年/1964年下期) 第11回徳島県出版文化賞『小少将』(昭和61年/1986年) |
デビュー作 | 幽囚転転 |
親族 | 弟:善川三朗、甥:大川隆法 |
ウィキポータル 文学 |
中川 静子(なかがわ しずこ、1919年(大正8年)3月22日 - 1994年(平成6年)1月27日)は、日本の作家。
宗教団体 幸福の科学を設立した大川隆法(現・総裁)の伯母(大川隆法の父・善川三朗の姉)である。
経歴
[編集]1919年(大正8年)、徳島県麻植郡東山村(現・吉野川市)生まれ。川島尋常高等小学校卒、私立順心高等女学校中退。後、様々な職を経験する。
1942年(昭和17年)、第3回『文庫』懸賞短篇小説で、二等当選。受賞作「寄附徴収員」。 徳島県の同人誌『飛行船』[1]などで執筆を始める。小説「幽囚転々」が直木賞候補になって間もなく出版社のすすめで上京した。中野あたりのアパートで執筆生活をはじめたが、充分な準備の無いままの都会の一人暮らしゆえ、作品の完成もままならず、1年後には故郷徳島に帰ることになった[2]。
以後、郷土の歴史などを中心に文芸作品を創作してゆく。一時期同人誌「藝文」の投稿同人。晩年は、呼吸器系の持病と闘いながら創作活動を続け、小説「藍師の家」が最後の作品となった。
受賞歴・候補歴
[編集]- 第3回『文庫』懸賞短篇小説[二等当選](昭和17年/1942年)「寄附徴収員」
- 第18回講談倶楽部賞[佳作](昭和37年/1962年)「雪をつかむ」木屋明子名義
- 候補 第56回読売短編小説賞(昭和37年/1962年12月)「日々の不安」
- 候補 第60回読売短編小説賞(昭和38年/1963年4月)「寂光」
- 第15回『小説倶楽部』小説新人賞[佳作第二席](昭和38年/1963年)「若鷹の城」栃之瀬あき名義
- 候補 第72回読売短編小説賞(昭和39年/1964年4月)「山桜」栃之瀬あき名義
- 第25回オール讀物新人賞「幽囚転転」(昭和39年/1964年下期)[3]
- 候補 第52回直木賞(昭和39年/1964年下期)「幽囚転転」
- 候補 第53回直木賞(昭和40年/1965年上期)「白い横顔」
- 第2回 徳島県作家協会賞(昭和54年/1979年)「花明かり」
- 第7回歴史文学賞[佳作](昭和57年/1982年)「一期は夢よ」木屋明子名義
- 第11回徳島県出版文化賞(昭和61年/1986年)『小少将』
著作
[編集]単行本
[編集]- 『鬼にもあらで』近代文芸社、1982年7月、ISBN 978-4-89607248-8
- 表題作のほか短編「花明かり」「御陣女郎香が覚え語り」「或る不安な状況」
その他
[編集]- 「幽囚転転」『徳島作家』6-7号、1961-63年
- 『オール讀物』1964年12月号
- 『徳島作家代表作選集』徳島作家の会、1974年
- 「白い横顔」同人誌『暖流』5号、1965年2月
- 雑誌『女の部屋』No.2、1970年6月、再掲載[5]
- 「迷いの中の八ヵ月」同人誌『暖流』7号、1966年
- 「放浪の記」雑誌『女の部屋』連載、No.3、1970年9月[6]、No.4号1970年11月[7]
- 「或る不安な状況」『徳島作家』23号、昭和50年1975年7月
- 「平康頼-鹿ケ谷余話」「上桜城哀史」『阿波の歴史小説 1』阿波の歴史を小説にする会編、1980年1
- 「血の落日-小少将」 『阿波の歴史小説 2 (阿波の女)』阿波の歴史を小説にする会、1981年
- 「喪失」「往来心得」『とくしまの小説選集 第2集』徳島県作家協会発行、1982年
- 「鐘の緒の霊異-立江寺」『阿波の歴史小説 3 (特集・阿波の寺)』阿波の歴史を小説にする会、1982年
- 「祖谷の刀狩りー石童峠」『阿波の歴史小説 4 (特集・阿波の峠・道)』阿波の歴史を小説にする会、1983年
- 「箱回し」『阿波の歴史小説 5 (特集・阿波の芸人)』阿波の歴史を小説にする会、1984年
- 「面劇師/花の家花奴」『阿波の歴史小説 6 (特集・阿波に生きる)』阿波の歴史を小説にする会、1985年
- 「林道感と朝鮮女」『阿波の歴史小説 7 (特集・阿波の武将)』阿波の歴史を小説にする会、1986年
- 「小説で叩かれ失脚した徳島城主」『阿波の歴史小説 8 (特集・阿波の城主)』阿波の歴史を小説にする会、1987年
- 「立ち腹」『阿波の歴史小説 9 (特集・阿波幕末の人々)』阿波の歴史を小説にする会、1988年
- 「阿波青蓮院物語」『阿波の歴史小説 10』阿波の歴史を小説にする会 1989年
メディア出演・掲載
[編集]幸福の科学による霊言
[編集]大川隆法が中川静子の霊を自らの体に降ろしインタビューを行うという、幸福の科学の「公開霊言」というものが、2012年1月に収録され、2月1日に録画が教団施設内で公開された[10]。
この他、中川静子について大川隆法は「徳島県の実家の離れには、『直木賞候補』に二度なった小説家の伯母が住んでおり、私はよく遊びに行っていた」「東京のホテルでカン詰め状態になりながら、編集者につつかれて、伯母は連載小説を書き続けていたが、一年ばかしで出版社とけんか別れして帰ってきた」[11]と回想している。
脚注
[編集]- ^ 「飛行船」1958(昭和33)年創刊
- ^ 直木賞のすべて 余聞と余分 - より
- ^ 中川静子-直木賞候補作家-52NS - 直木賞のすべて より
- ^ 第十二回新潮新人賞|新潮社 - 新潮社webより
- ^ 「女の部屋」No.2/目次
- ^ 「女の部屋」No.3/目次
- ^ 「女の部屋」No.4/目次
- ^ 「藍師の家」朗読劇に 吉野川と阿波藍題材の小説 - インターネットアーカイブ保存データ
- ^ 「鳴潮」徳島新聞、2月8日付 - インターネットアーカイブ保存データ
- ^ 霊言 公開情報 小説家の伯母・中川静子の霊言
- ^ 『「文春」に未来はあるのか 創業者・菊池 寛の霊言』(幸福の科学出版 2012年7月刊)「まえがき」より
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 中川静子-直木賞候補作家-52NS - 直木賞のすべて より
- 中川静子|文学賞の世界 - 「文学賞の世界」内名前検索