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日本平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有度丘陵から転送)
日本平(有度山)
西側の朝鮮岩から望む日本平、手前に安倍川東名高速道路、中央のビルは静岡新聞社本社、山の中腹以下一帯が静岡大学(2016年2月撮影)
標高 307 m
所在地 日本の旗 日本静岡県静岡市駿河区清水区
位置 北緯34度58分25.582秒 東経138度27分56.664秒 / 北緯34.97377278度 東経138.46574000度 / 34.97377278; 138.46574000座標: 北緯34度58分25.582秒 東経138度27分56.664秒 / 北緯34.97377278度 東経138.46574000度 / 34.97377278; 138.46574000
日本平の位置(静岡県内)
日本平
日本平 (静岡県)
日本平の位置(日本内)
日本平
日本平 (日本)
プロジェクト 山
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日本平(にほんだいら)は、静岡県静岡市駿河区清水区の境界にある丘陵地、および景勝地である。名称は日本武尊(やまとたけるのみこと)伝説に由来する。

概要

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日本平から望む富士山清水港
静岡市周辺の地形図。中央右が有度山および日本平

日本平は駿河湾の沿岸近くにある有度山(うどやま)の山頂とその一帯で、富士山伊豆半島が駿河湾越しに見え、北には赤石山脈(南アルプス)も望める[1]。眼下には清水区の街並みと清水港が広がり、夜景のスポットにもなっている。 1950年(昭和25年)、毎日新聞社主催の観光地百選において、平原の部で第1位となり、 1959年(昭和34年)には国の名勝にも指定された[2]1980年(昭和55年)の日本観光地百選コンクールでも第1位となった[3]2016年(平成28年)には、「日本夜景遺産」に認定された[4][5]

最高地点の有度山山頂は標高307メートルで、山腹には広葉樹林が多く、茶畑ミカン畑が広がる。有度山を中心とした丘陵は撓曲によってできたもので、過去10万年間で300メートルも隆起しており、これは日本でも有数の激しい地殻変動である[6]。丘陵の海側は急峻な地形となっているが、これは波や沿岸流に削り取られたためである。この土砂は沿岸流に流され三保半島を形成する要因となった[7]。丘陵の西から北縁にかけては活断層が走る[8]。有度山の名称は駿河国有度郡(うどのこおり/うどぐん)が置かれていたことに由来する。

施設・旧跡

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丘陵南域の久能山(標高216メートル)の山腹には徳川家康ゆかりの久能山東照宮があり、日本平山頂から東照宮までを日本平ロープウェイが結んでいる。また、童謡「赤い靴」にモデルになった女の子とその母親が清水区宮加三(旧不二見村)の出身であったことからその母子像が山頂部に置かれている。

山頂部には「山頂吟望台」と2018年(平成30年)11月3日にオープンした「日本平夢テラス」と「東展望台」があり、富士山と清水港などの展望地となっている。山頂付近に日本平ホテル、日本平ゴルフクラブ、梅園があり、また静岡県内の各放送局が共同で建設した、日本平デジタルタワーが置かれている。

中腹の駿河区側には日本平動物園静岡県舞台芸術公園、遊木(ゆうき)の森が、清水区側には清水エスパルスの本拠地である静岡市清水日本平運動公園球技場がある。

ギャラリー

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静岡市道池田日本平線

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丘陵には、静岡県道路公社が観光振興や地域開発を目的として、東西に走る有料の「日本平パークウェイ」が造られ、1964年(昭和39年)3月1日に全線の供用を開始した。静岡側から丘陵の日本平山頂まで登る道路「日本平パークウェイ」と、清水側から日本平山頂を結ぶ「清水日本平パークウェイ」で二分され、この二つの道は山頂でつながっている[1]。一帯は「日本平・三保の松原県立自然公園」に指定されていて[9]、お茶畑や富士山の眺めが良いところでよく知られる[1]2004年(平成16年)4月1日には無料化され、「日本平パークウェイ」は「静岡市道池田日本平線」となった[10]

長きにわたり、漫画「頭文字D」を真似てドリフト走行することを目的[要出典]とする走り屋が夜間に集い問題となっていたが、静岡県警察道路交通法違反(共同危険行為)やカラー舗装の路面に付けられたタイヤ痕を器物損壊行為として摘発および逮捕を進めた[11][12]。また、有料道路だった当時は道路運送法により、125 cc以下の自動二輪車原動機付き自転車自転車歩行者通行禁止とされていた。無料化された後も、静岡県公安委員会の方針により、引き続き自転車と歩行者は通行が禁止されている。

その他

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日本平の西寄りにある現在の「大谷ゴルフ場」の敷地は、当初は自動車用の「日本平スピードウェイ」と称するショートオーバルサーキットを設ける予定であったが、諸問題により造成中に建設が中止された[13]

日本平が舞台の作品

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『花ひらく娘たち』1969年(昭和44年)日活

アクセス

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脚注・出典

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  1. ^ a b c 須藤英一 2013, p. 111.
  2. ^ 日本平”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2011年11月6日閲覧。
  3. ^ 日本平公園基本計画概要版(2章)” (PDF). 静岡市. 2015年8月29日閲覧。
  4. ^ 静岡・日本平「夜景遺産」に 霊峰望むパノラマ評価”. 静岡新聞 (2016年8月5日). 2016年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月5日閲覧。
  5. ^ 日本平が「日本夜景遺産」に登録されました!”. 静岡市. 2019年5月4日閲覧。
  6. ^ 小山真人静岡平野の地下構造探査を」『静岡新聞』2003年8月12日。2011年11月6日閲覧。
  7. ^ 静岡県地学会 編『えんそくの地学 静岡県の地学案内』黒船出版部、1983年、109頁。 
  8. ^ 産総研:活断層データベース”. 活断層データベース. 産業技術総合研究所. 2011年11月6日閲覧。
  9. ^ 徳久球雄 1992, p. 398.
  10. ^ 静岡県道路公社50年のあゆみ”. 2011年11月6日閲覧。
  11. ^ “暴走族のタイヤ痕に「器物損壊」適用”. Response. (2005年7月25日). https://response.jp/article/2005/07/25/72837.html 2007年11月9日閲覧。 
  12. ^ “静岡のローリング族を逮捕…残りは26台”. Response. (2006年5月20日). https://response.jp/article/2006/05/21/82191.html 2007年11月9日閲覧。 
  13. ^ 日本平スピードウェイ(静岡)” (2013年2月9日). 2019年6月14日閲覧。

参考文献

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  • 徳久球雄 編『コンサイス日本山名辞典』(修訂版)三省堂、1992年10月。ISBN 4-385-15403-1 
  • 須藤英一『新・日本百名道』大泉書店、2013年。ISBN 978-4-278-04113-2 

外部リンク

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