昭和女子大学附属昭和小学校
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昭和女子大学附属昭和小学校 | |
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北緯35度38分35秒 東経139度40分31秒 / 北緯35.642972度 東経139.675278度座標: 北緯35度38分35秒 東経139度40分31秒 / 北緯35.642972度 東経139.675278度 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人昭和女子大学 |
校訓 | めあてをさして進む人真心を尽くす人体を丈夫にする人 |
設立年月日 | 1922年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 三期制 |
学校コード | B113311200027 |
所在地 | 〒154-8533 |
東京都世田谷区太子堂一丁目7-57 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
昭和女子大学附属昭和小学校(しょうわじょしだいがくふぞく しょうわしょうがっこう)は、東京都世田谷区太子堂一丁目に所在する私立小学校。昭和女子大学の附属学校である。
沿革
[編集]以下、小学校のウェブページ[1]による。
- 1920年 - 人見圓吉ほか有志4名が私塾「日本女子高等学院」創立(現東京都文京区水道4-28)
- 1922年 - 私立学校「日本女子高等学校」に昇格、5年制の高等女学部を付設。校舎を移転(現東京都中野区東中野4-2)
- 1926年 - 校舎を移転(現東京都中野区上高田1-39)
- 1927年 - 財団法人日本女子高等学院を設立。高等女学部を分立し「昭和高等女学校」とする
- 1946年 - 財団法人東邦学園を設立
- 1951年 - 財団法人東邦学園を「学校法人昭和女子大学」と改める
- 1953年 - 学校法人昭和高等学校に昭和小学校を付設
- 1963年 - 学校法人昭和女子大学に学校法人昭和高等学校を併合。学校名を昭和女子大学附属昭和小学校と改める
- 1964年 - 校歌を制定
- 1965年 - 人見楠郎が第2代校長に就任
- 1974年 - 初代校長の人見圓吉が死去、人見楠郎が第2代理事長に就任
- 1977年 - 現校舎完成
- 1978年 - 1学年3クラス制開始
- 1983年 - 全学年3クラス制完了
- 1994年 - 創立40周年式典挙行。4年生以上に英語授業を開始。
- 2000年 - 第2代校長の人見楠郎が死去。小林美佐子が第3代校長に就任。
- 2001年 - 第4代校長に江口雄輔が就任
- 2003年 - 創立50周年記念式典を挙行
- 2010年 - 第5代校長に小泉清裕が就任
- 2018年 - 第6代校長に柴田芳明が就任
- 2021年 - 第7代校長に真下峯子が就任
- 2022年 - 真下峯子が初代統括校長に、第8代校長に前田崇司が就任
- 2024年 - 国際コース及び探究コースを設置
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交通
[編集]- バス停「昭和女子大前」(渋谷駅から田園調布駅、等々力、用賀駅、祖師ヶ谷大蔵駅、成城学園前駅など行きのバス便多数停車)
制服
[編集]制服については以下の通り[2]。
冬服
夏服
- 男子:Yシャツ、灰色の半ズボン、白の帽子
- 女子:ブラウス、灰色のジャンパースカート、白の帽子
なお、夏には女子のみ、校内でのみ着用可の校内着がある。
著名な出身者
[編集]【50音順】
- 内田潤一郎 - 俳優
- 岡野栄之[3] - 医学者、慶應義塾大学医学部教授
- 近江友里恵 - 日本放送協会アナウンサー
- 壇蜜 - タレント、女優、グラビアアイドル
- 寺薗淳也[4] - 惑星科学者、天文学者
- 長屋宏和 - レーシングドライバー
- 原田亜弥子 - 静岡放送社員(元アナウンサー)
外部リンク
[編集]出典
[編集]- ^ “沿革”. 昭和女子大学附属昭和小学校. 2024年6月7日閲覧。
- ^ “制服”. 昭和女子大学附属昭和小学校. 2024年6月7日閲覧。
- ^ “[https://100th.swu.ac.jp/topics/interview/0001307/ 研究者である今にリンクする "昭和っ子の研究"]”. 昭和女子大学100周年記念サイト. 2024年6月7日閲覧。
- ^ “寺薗さん(22回生)が「惑星探査入門」を出版”. 昭和女子大学附属昭和小学校同窓会「桜友会」. 2024年6月7日閲覧。
関連項目
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