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日本コンピュータクラブ連盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日コン連から転送)

日本コンピュータクラブ連盟(にほんこんぴゅーたくらぶれんめい)は、大阪市に本部を置く、大学コンピュータクラブの交流を推進する目的で設立された任意団体である(数多ある「連盟」を称する各種団体と同様、法人格は取得していない)。通称日コン連。1990年代の多くのウイルスを「いてこました」事で話題となった[1]

代表者は、創設以来今日まで理事長である山本隆雄が務める。

概要

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1983年から毎日放送ラジオで放送された上新電機J&P提供の番組「コンちゃんのDOマイコン」内の企画として、神戸大学在学中の山本ら近畿地方の主要大学コンピュータクラブの代表者で結成された「近畿学生コンピューター連合」を前身とする。日コン連は山本がシャープを脱サラした後[1]の1988年結成[2]、1989年設立[3]。業部門として、日コン連企画株式会社も設立された(同社の社長は設立以来、やはり山本が務めている)。研究部門として日本コンピュータウイルス研究学会を持つ[4]。1992年時点で98団体6000人の会員を擁した[1]

パーソナルコンピュータテレビゲームメーカー各社との意見交換会、会社訪問会などを行っていた。また日コン連企画など関連団体を通して、パソコンショップの展開、就職活動の斡旋、コンピュータウイルスやハッカーなどのコンピュータ被害に対するアフターケアの実施を行っていたと日コン連のウェブページには記載されている。

活動

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1990年代にコンピュータウイルスの発見・解析の業務でマスコミの注目を集めた[1]

1990年12月に文部省宇宙科学研究所のコンピュータがウイルスに感染した事件で、宇宙科学研究所の依頼で当該ウイルス「自由が丘1号」を解析している[5][6]1992年9月には欧州で流行していた「サンデー・ウイルス」の日本上陸を報告、「六甲おろし1号」と命名[7][8]。同10月には13日の金曜日ウイルス(Jerusalem)の上陸を発見、「道頓堀1号」と命名[9][10]。1995年6月、システムを破壊する種類ウイルスを発見、「エボラ出血熱型ウイルス」と命名[11]。1996年、オウム事件を題材とした「不謹慎ゲーム」にウイルスが仕掛けられていることを発見[12]。1997年にはメールボムの日本への上陸を確認、発表している[13]

1991年、未知のコンピュータウイルスにも対応できるという「ワクチン」ソフトを発売[14]。1992年9月にはどのようなウイルスも消滅させることができるという「ワクチン」ソフト「スーパーいてこまし」を発売[15]

当初連盟には有能なプログラマが参集し、同社は1990年、国産初の市販アンチウイルスソフトウェアパッケージ「サイバーワクチンいてこまし」を発表した(ただし、当時のハードウェアの制約等の理由でプリミティブなものであったことは、自他共に認めるところである。また初期版はハードディスク上での使用を想定しておらず、システムを損傷するなどの不具合があった)。他にも「スペルマスターかきたおし」「クロス英単はめたおし」「タイプマスターおしたおし」「女王様が教えてあげるシリーズ」など、山本独特のネーミングセンスで多くの国産パソコン向けのパッケージソフトを企画・販売した。

1992年11月、「電子ハッカー」退治のための研究所発足を発表[16]。1993年、複製版を起動するとAV女優の吹込みによる「エッチな声」が出る「ウイルス」を組み込んだゲームソフト「ループ・イレーサー」を発売[17]。1994年11月、「ウイルス」ソフト「カラオケウイルス京都1号」を発売[18]

1998年に発生したドクター・キリコ事件の際には、日コン連は「真偽を確かめず、持っている情報をすべて提供する」という方針からマスコミに多く情報提供を行っており、一部では日コン連と山崎が「キリコとあやの心中劇というシナリオを作った」という憶測が流れた[19]


変質(山本の個人商店化)

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休眠へ

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1990年代後半には、連盟傘下の多くの大学コンピュータクラブでの学生の代替わり・活動の方向性の変化・クラブ自体の消滅などで、次第に連盟本来の活動は低調なものになっていった。不況やパソコンのシェア変動などによりパソコンメーカーからの賛助金が打ち切られるに至り、当時日本橋に複数店舗あったパソコンショップC・able(ケーブル)も順次閉店となり、最後まで続けられた連盟機関誌C・ableの発行も、1999年10月の第18号をもって終了した。これらにより、実質的に日コン連は休眠状態に入り、日コン連企画はコンピュータ関連業務から撤退した。その後の日コン連企画はトレカショップカードカルトやメイド喫茶メイドエステ萌などを経営しており、2022年6月現在は戎本町三宮カードカルトが2店舗あるのみである。

霊能力トレーディングカード競パン(競泳用水着)は日本コンピュータクラブ連盟とは関係ないと言われるが、公式サイトでは以下の案内がある。 2000年には、日本トレーディングカード連盟を、2003年には、日本霊能者連盟を、2004年には、日本占い師連盟をぞれぞれ設立している。『サークル日コン連個人会員』や『日コンクールガイズ競パンクラブ』などの案内もある。

エピソード

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脚注

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  1. ^ a b c d 毎日新聞2002年3月29日大阪朝刊
  2. ^ 読売新聞1992年11月5日大阪夕刊
  3. ^ 読売新聞1994年9月12日大阪朝刊
  4. ^ 読売新聞1992年1月15日大阪夕刊
  5. ^ 毎日新聞1990年12月26日大阪朝刊22面
  6. ^ 毎日新聞1990年12月26日東京朝刊10面
  7. ^ 読売新聞1992年9月20日大阪朝刊
  8. ^ 毎日新聞1994年2月9日東京朝刊27面
  9. ^ 毎日新聞1992年10月8日大阪朝刊25面
  10. ^ 読売新聞1992年10月8日大阪朝刊
  11. ^ 読売新聞1995年6月17日大阪夕刊
  12. ^ 毎日新聞1996年4月4日大阪夕刊9面
  13. ^ 毎日新聞1997年3月5日大阪夕刊1面
  14. ^ 毎日新聞1991年1月14日大阪朝刊3面
  15. ^ 毎日新聞1992年1月13日大阪夕刊11面
  16. ^ 読売新聞1992年11月15日大阪夕刊
  17. ^ 毎日新聞1993年12月22日大阪朝刊19面
  18. ^ 毎日新聞1994年11月30日大阪朝刊28面
  19. ^ 河上イチロー(1999)『サイバースペースからの攻撃』pp.146-149

関連項目

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外部リンク

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