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旅順師範学校

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旅順師範学堂から転送)

旅順師範学校 (りょじゅんしはんがっこう) は1936年昭和11年) に、日本の支配下にあった関東州旅順に設立された師範学校である。

概要

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  • 関東州・満州における指導的教員を育成する目的で、旅順女子師範学校と同時に設立された。
  • 中学校卒業者を対象とする2年制の学校として発足した (のちに専攻科を設置)。
  • 1943年に旅順女子師範学校と統合し、旧制専門学校相当 (本科3年制) となった。
  • 1945年、日本の第二次世界大戦敗戦により閉校となった。

沿革

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  • 1936年5月: 旅順師範学校設置 (5月29日勅令第73号 関東師範学校官制)。
    • 旅順女子師範学校も同時に設置。
    • 新市街山の手 (大正公園西側) の旧ロシア洋館数軒を改装、生徒寮とする。
  • 1936年6月20日: 仮校舎 (旅順高等公学校) で第1回入学式挙行。
    • 本科2年制 (内地の師範学校の本科第二部に相当)。
  • 1937年4月: 旅順第二小学校校舎に移転、同校を附属小学校とする。
    • 同月、生徒寮を 「塾」 と改称・増設。小規模寮数棟と教員宿舎を大正公園 (のちに関東神宮が鎮座) 西側に配置し、"師範村" を形成した。
  • 1937年9月: 本校舎 (旧関東州庁庁舎) に移転。
    • 1階を附属小学校、2階を師範学校とする。
  • 1938年3月: 第1回卒業 (72名)。
  • 1938年4月: 専攻科を設置 (1年制)。
  • 1938年9月: 同窓会 「志道会」 発会。
  • 1943年4月: 旧制専門学校相当 (本科3年制) となる (3月31日勅令第302号 関東局諸学校官制)。
    • 旅順女子師範学校を併合して女子部 (2年制で発足) とする。
  • 1945年8月上旬: 男子部教職員・生徒、満州防衛軍として即日入隊。
  • 1945年8月15日: 日本敗戦。
  • 1945年8月28日か?: 校舎がソ連軍に占拠される。
  • 1945年9月: 男子部生徒、大連へ移動。旅順師範学校・同附属国民学校、閉校。
    • 第8回卒業 (8月22日付)・第9回卒業 (11月3日付)。最後の卒業証書は1946年4月、大連で配られた。

歴代校長

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  • 校長: 板倉操平 (1936年5月 - 1941年4月)
  • 校長: 田口福司朗 (1941年4月 - 1943年3月)
  • 校長: 丹直能 (1943年4月1日[1] - 1945年9月?)

校地の変遷と継承

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旅順師範学校男子部

1936年の創立時は旅順新市街 沿岸部にあった旅順高等公学校校舎を仮校舎とした。翌1937年4月、旅順第二小学校校舎 (のちの旅順高等学校仮校舎) に移転し、同校を附属小学校とした。1937年9月、沿岸部にあった旧関東州庁舎 (本校舎) に移転し、1945年8月にソビエト軍に占拠されるまで使用した。

旅順師範学校女子部

著名な出身者

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安則盛三(神風特別攻撃隊第七昭和隊)

脚注

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  1. ^ 『官報』第4865号、昭和18年4月2日。

関連書籍

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  • 『旅順師範学校』 旅順師範学校同窓会志道会、1978年8月。

関連項目

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外部リンク

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