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戦闘教義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戦闘ドクトリンから転送)

戦闘教義(せんとうきょうぎ、英語: battle doctrine)とは作戦戦闘における軍隊部隊の基本的な運用思想である。

戦闘ドクトリンとも言う。旧日本軍では戦闘教義ではなく、白兵主義や火兵主義などのように主義という言葉を用いていた。

概要

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軍事学において教義(doctrine)とは普遍的な原理原則のなかでも部隊編制や装備体系、仮想敵の特性、予想される戦場の環境などを考慮しながら何を重視するかを定めるものである。その最も基本的な問題とは部隊を戦闘において戦わせる方法である。部隊を構成する兵や指揮官は往々にして独自に判断を迫られる場面があり、あらゆる些細な状況判断をつねに中央指揮所に報告し指示を得ることが可能なわけではない。戦局において迅速な判断が迫られたり通信・通報が途絶したりする場面において、他の部隊と連携し有機的に活動をおこなうためには予め想定された行動指針や判断指針が必要となる。武器の選択や兵科の構成もこれら予め想定された行動指針(原則・教書:doctrine)に沿うように編成される。隊列(formation)や部隊・兵による役割分担は積極活動における最も元素的な戦闘教義である。また部隊損耗率の3割で撤収可能、5割で降伏可能などと取り決めておくことなどもドクトリンの一種である。

教義は軍隊作戦戦闘を遂行するための具体的な構想を戦略戦術の概念からまとめたものであり、その軍隊における学術的な研究だけでなく、実戦的な演習の基礎となるものである。したがって、教義は軍事作戦のあらゆる場面において重要な原則であるといえるが、それにもかかわらず今日においても教義という概念の厳密な定義について国際的な合意は存在しない。研究者ヒューズは戦闘教義を戦時における集団的な活動を遂行するまとまったある作用物であると定義しているが、北大西洋条約機構軍では教義を戦略的または政策的な意味合いから定義している。このような事態は教義という言葉がしばしば多義的に用いられることによって、また教義が歴史や地域によって変化することによって生じている。この項目では混乱を避けるために、作戦・戦闘のための教義を取り上げる。

1980年代にアメリカ軍は教義がどのような性格のものであるかについて分析を加え、軍事要員が戦闘教義をどのように考えるべきかについて指針を示した。まず強調されていることは、教義とは書籍に書かれていることではなく、人々によって知られていることである。したがって、軍事教範や軍事公文書の中においてのみ教義が存在しているとは限らない。また教義とは必ずしも絶対的なものではなく、環境に応じて教義は適応させなければならない。さまざまな情勢の変化に応じて教義は絶えず修正が加えられなければならず、実際に教義は歴史の中では常に変動してきたものである。このような教義の考え方はカール・フォン・クラウゼヴィッツの軍事学の研究によって形成されたものである。例えばクラウゼヴィッツは摩擦の概念を導入しながら、戦闘教義が常に完全に機能することは自然環境や敵との動態的な相互作用によって考えられないと論じている。また最近の研究であるアメリカ陸軍の野戦教範100-5では基本的にエアランド・バトルが実施可能な戦闘能力が前提となった戦闘教義が採用されている。しかし、実際にそれが不可能になったとしても、他の異なる手段によって代替することも想定されており、情勢の変動に幅広く適応することが可能である。

歴史的事例

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戦闘教義の発展を理解するためにいくつかの歴史的事例を取り上げながら、それらの部隊編制、装備体系、戦闘陣形、戦闘方針を分析する方法がある。ここでは古代から中世にかけてファランクス、レギオン、カタフラクト、近世から現代にかけてテルシオ、三兵戦術、電撃戦、エアランド・バトルについて説明を行う。詳細については個々の項目を参照されたい。

ファランクス

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部隊を横隊で戦闘展開することは紀元前6世紀頃からギリシアで始まっていた。これは組織的な戦闘隊形によって戦闘力が向上することが理由である。マケドニアファランクスは軍事史上初めて開発された戦闘教義であると考えられる。

その具体的な内容は、64人の歩兵小隊を基礎とし、2個小隊を中隊、2個中隊を大隊、4個大隊から連隊、そして4個連隊からファランクスが編制され、戦闘展開の際には正面256人が16列並ぶ密集隊形となり、右半分が軽装歩兵、左半分が重装歩兵にそれぞれ約500人の重装騎兵部隊を配された。戦闘支援としてファランクスの前衛には左右に軽騎兵を伴った弓を装備する軽歩兵部隊、さらに予備兵力としてファランクスの背後には約2000人の槍を装備する歩兵部隊が配備される。 運用する際にはファランクスの左側に位置する重装歩兵が接触と同時に防御戦闘で敵部隊を拘束し、右側に位置する軽装歩兵、及び右翼に配された騎兵部隊で打撃する。

レギオン

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ファランクスは密集隊形であるが故に指揮統制や兵力集中が行いやすいが、戦場機動が大幅に制限される問題があったことから、ローマレギオンという新たな戦闘教義が研究開発されていた。紀元前3世紀頃までに改良が重ねられ、現代歩兵部隊の編制の基礎にもなった。

その具体的な内容は部隊は120人から160人から成る中隊を基本に、4個中隊で大隊、10個大隊で連隊を編制し、この連隊が戦闘展開する場合は第1列に十分な左右の間隔をとって10個中隊、その背後の第二列に9個中隊、さらにその背後の第3列に10個中隊を配する。この列の間の間隔も75メートルと広くとって自由に戦場機動、密集や散開ができるようにする。騎兵部隊はこのレギオンの両翼に置かれたが、その主力は重装歩兵部隊であった。

カタフラクト

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騎兵の重要性が再確認されるようになるには、5世紀におけるなどの馬具の技術躍進が必要であった。またカタパルトなどの射撃支援を行う兵器が開発されたことから歩兵部隊の密集隊形での戦闘が困難となり、そのために騎兵の攻撃に対して脆弱になった。そのために騎兵を主力とする戦闘教義が研究開発されることになった。

東ローマ帝国軍においては6世紀初期にカタフラクトが開発された。カタフラクトとは、槍騎兵と弓騎兵の機能を合わせた上で防護力を高めた、打撃力・機動力・防護力を兼ね備えた弓・槍重装甲騎兵部隊である。運用としては弓やバリスタを装備した重装歩兵部隊をまず中央に横隊で展開し、背後に予備戦力を伴って両翼にカタフラクトを配し、戦闘では歩兵部隊が射撃で防御戦闘し、カタフラクトが敵に対して包囲攻撃した。これによって騎兵と歩兵の兵力が同等になり、その重要性も大いに増した。

テルシオ

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騎兵の戦術的な価値も火器の技術躍進によって相対的に低下し、歩兵の重要性がまた認識されるようになった。テルシオは16世紀頃にスペインで開発され、欧州陸軍の戦闘教義に大きな影響を与えた。テルシオはスペイン方陣とも呼ばれ、それは研究開発された歩兵銃を装備した歩兵を数段の縦隊で配置し、装弾のたびに後列と次々に交代することによって全体の部隊の火力攻撃の発射速度を維持するという方陣のことである。この方陣には槍歩兵も含まれる。

実際の運用においては前衛に大砲三門を配置し、その両翼に騎兵を置いた。さらに主力部隊は方陣を三個並べ、その両翼にも騎兵部隊を配する。ただしこれら騎兵部隊の突撃は戦場においては小銃を装備した歩兵や陣地防御に対しては有効ではないため、有効性は側面攻撃や背後攻撃、または歩兵部隊が戦場機動する場合に限られたが、主力部隊は戦場機動に不向きであり、全体として鈍重な部隊である。

三兵戦術

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17世紀初期、スウェーデン国王グスタフ・アドルフは銃兵や砲兵の軍事的な将来性に注目し、テルシオを大幅に改良して三兵戦術を確立した。

発射速度を向上させて銃剣を装着した小銃を装備した歩兵を六列以下の横隊を間隔を横にとって戦闘正面に対して広く配置した。騎兵部隊と砲兵部隊はこの歩兵部隊の間隔に配され、また全体としては部隊の両翼に騎兵の主力を置いた。こうして歩兵、騎兵、砲兵が共同作戦行動を行えるような戦闘教義を開発した。これは近代横隊戦術の原型であり、現代の戦闘教義にも影響を与えている。

この三兵戦術はナポレオン・ボナパルトによってより高度に高められた。

電撃戦

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第一次世界大戦においては機関銃などを用いた強力な陣地防御が採られるようになり、横隊の展開が長大化して戦場機動は停滞するようになった。そのためハインツ・グデーリアンジョン・フレデリック・チャールズ・フラーの『機甲戦』を研究し、強力な陣地防御を突破する戦闘教義として電撃戦を研究開発した。グデーリアンは戦闘隊形として縦隊を応用して銃弾のような形状にした銃弾陣を考案し、この銃弾陣の先端に当たる部分に戦車部隊を配置して、その背後に自動車化した歩兵部隊を追随させる陣形とした。さらに実運用においては急降下爆撃機隊による戦術的航空作戦で進攻する戦車部隊への火力支援を行わせた。これは戦車の機動力と打撃力を充分に発揮する戦闘教義であり、1940年にドイツ陸軍がフランスへ侵攻する際に用いられ成功した。

エアランド・バトル

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参考文献

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  • 防衛大学校・防衛学研究会編『軍事学入門』かや書房、1999年
  • 松村劭『戦争学』文藝春秋、平成18年
  • 栗栖弘臣『安全保障概論』ブックビジネスアソシエイツ社、1997年
  • Alger, J. I. 1985. Definitions and doctrine of the military art. The West Point Military History Service Series. Garden City Park, N.Y.: Avery.
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関連項目

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