悟道軒圓玉
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悟道軒 圓玉(ごどうけん えんぎょく)は、講釈師の名跡。新字体は悟道軒円玉。
初代
[編集]本名:浪上義三郎(戸籍上は浪上儀三郎)、慶応2年11月16日(1866年12月22日) - 昭和15年(1940年)1月13日。享年75[1]。
初代 | |
本名 | 浪上 義三郎 |
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別名 | 浪上 儀三郎 |
生年月日 | 1866年12月22日 |
没年月日 | 1940年1月13日(73歳没) |
師匠 | 二代目松林伯圓 |
名跡 | 1.松林伯義(1882年 - 1889年) 2.5代目松林圓玉(1889年 - ?) 3.初代悟道軒圓玉(? - 1940年) |
活動期間 | ? - 1940年 |
活動内容 | 講談師 |
江戸出身、16歳で二代目松林伯圓の門弟となり伯義、1889年に五代目松林圓玉。師・二代目伯圓の没後、しばらく自身が病気がちになり、心機一転、悟道軒圓玉と改名した[1]。
新作など講談の創作に力を入れた。
川口松太郎は、1919年から、悟道軒円玉の家に住み込んでその口述筆記を手伝い、漢詩や江戸文学の素養も積んだ[2]。
墓所は江戸川区深川心行寺[3]。
二代目
[編集]2代目 | |
本名 | |
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生年月日 | 1942年12月28日(81歳) |
出身地 | 日本・埼玉県川越市 |
師匠 | 12代目田辺南鶴 服部伸 |
名跡 | 1.田辺南洲(1963年 - 1978年)[5] 2.2代目悟道軒圓玉(1978年 - ) |
出囃子 | 勧進帳 |
活動期間 | 1963年 - |
活動内容 | 講談師 |
公式サイト | |
受賞歴 | |
芸術祭大衆芸能部門優秀賞(1973年)[2] 芸術祭優秀賞(1977年) | |
- 1942年12月28日 - 川越市の生まれ。
- 県立川越工業高校卒業後、富士重工に勤務[2]。講談界の最長老・服部伸の芸を聴いたことがきっかけで講談師の道へ[2]。
- 1963年 - 十二代目田辺南鶴に入門し田辺南洲[5]
- 1968年 - 南鶴没後、服部伸の預かり弟子となる[5]。
- 1969年 - 二つ目昇進[5]。
- 1973年 - 史上最年少で芸術祭大衆芸能部門優秀賞を受賞[2]。
- 1977年 - 芸術祭優秀賞受賞。
- 1978年 - 真打昇進し二代目悟道軒圓玉を襲名[5]。
- 1989年 - 交通事故で脳死状態になる[5]。
- 1994年 - 高次脳機能障害を乗り越え高座に復帰[5]。
外部リンク
[編集]- 講談師 悟道軒圓玉(ごどうけん えんぎょく)公式サイト - ウェイバックマシン(2013年9月24日アーカイブ分)