徳島ヴォルティス・セカンド
徳島ヴォルティス・セカンド | |
---|---|
原語表記 | 徳島ヴォルティス・セカンド |
呼称 | ヴォルティス・2nd |
クラブカラー | 青 |
創設年 | 2002年 |
解散年 | 2010年 |
ホームタウン | 徳島県徳島市 |
ホームスタジアム | 徳島市球技場 |
収容人数 | 5,600 |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
徳島ヴォルティス・セカンド (とくしまヴォルティス・セカンド、Tokushima Vortis Second) は、かつて存在した日本のサッカークラブ。日本プロサッカーリーグ (Jリーグ) に加盟する徳島ヴォルティスのセカンドチームとして活動していた。
概要・歴史
[編集]2002年、徳島県サッカー協会が中心となって徳島フットボールクラブ・カバロス2002として結成された。ホームスタジアムは徳島市球技場。チーム名は2002年が壬午年であったことから、スペイン語で「馬」を意味する caballos から命名された。
2004年に徳島県サッカー協会の社団法人化を機に「徳島スポーツクラブ・カバロス」が発足し、総合スポーツクラブとしてサッカー以外へも活動範囲を広げた。なお、徳島スポーツクラブ・カバロスはトップチームのJリーグ入会を目指していたが、2005年3月に徳島ヴォルティスへトップチームを譲渡した。
これに伴って2005年4月8日付で名称を「徳島ヴォルティス・カバロス」 (Tokushima Vortis Caballos)へ変更し、第1種(社会人・大学生チーム)登録のアマチュアチームとして、トップチームとユースチームの間に位置することとなった。
2006年2月5日に四国リーグ入れ替え戦に勝利し、四国サッカーリーグ昇格を機に、徳島ヴォルティス・カバロスから「徳島ヴォルティス・アマチュア」 (Tokushima VORTIS Amateur) に名称を変更した。また、2006年に天皇杯全日本サッカー選手権大会に初めて出場した。
2008年3月1日付でチームとしての位置づけを明確化するため「徳島ヴォルティス・セカンド」に名称変更を行った。なお、ヴォルティスはJサテライトリーグにも参加し、トップ・サテライトに次ぐ第3位のクラスであったが、2009年にJサテライトリーグが廃止されたため、事実上セカンドが第2位のクラスとなっていた。
2010年12月末で活動休止。ヴォルティスのサテライトチームは四国リーグへの代替参加はせず、中四国サテライトリーグに参戦していた。
なお、セカンドの休止後も「徳島スポーツクラブ・カバロス」は活動しており、2013年4月には特定非営利活動法人として認証された。
チーム成績・歴代監督
[編集]年度 | 所属 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 順位 | 天皇杯 | 監督 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002 | 徳島県3部B | 12 | 36 | 12 | 0 | 0 | 103 | 4 | +99 | 優勝 | 県予選敗退 | 坊野竜也 |
2003 | 徳島県2部 | 13 | 28 | 9 | 1 | 3 | 56 | 22 | +34 | 2位 | ||
2004 | 徳島県1部 | 11 | 25 | 8 | 1 | 2 | 46 | 11 | +35 | 優勝 | ||
2005 | 11 | 29 | 9 | 2 | 0 | 51 | 7 | +44 | 優勝 | |||
2006 | 四国 | 14 | 18 | 5 | 3 | 6 | 30 | 30 | 0 | 5位 | 1回戦敗退 | 福島義史 |
2007 | 14 | 40 | 13 | 1 | 0 | 92 | 7 | +85 | 優勝 | 2回戦敗退 | 東泰 | |
2008 | 14 | 35 | 11 | 2 | 1 | 68 | 5 | +63 | 2位 | 3回戦敗退 | ||
2009 | 14 | 40 | 13 | 1 | 0 | 62 | 7 | +55 | 優勝 | 1回戦敗退 | ||
2010 | 14 | 34 | 11 | 1 | 2 | 47 | 10 | +37 | 2位 | 1回戦敗退 |
タイトル
[編集]リーグ戦
[編集]- 四国サッカーリーグ:2回
- 2007年、2009年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 徳島ヴォルティス・セカンド (更新停止)
- 徳島スポーツクラブ・カバロス
- 徳島スポーツクラブ・カバロス (caballos2002) - Facebook
- 徳島県サッカー協会