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後免中町停留場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
後免中町通駅から転送)
後免中町停留場*
はりまや橋方面ホームから東を望む
ごめんなかまち
Gomen nakamachi
後免東町 (0.3 km)
(0.2 km) 後免西町
地図
所在地 高知県南国市後免町一・二丁目
北緯33度34分31.67秒 東経133度38分44.71秒 / 北緯33.5754639度 東経133.6457528度 / 33.5754639; 133.6457528座標: 北緯33度34分31.67秒 東経133度38分44.71秒 / 北緯33.5754639度 東経133.6457528度 / 33.5754639; 133.6457528
所属事業者 とさでん交通
所属路線 後免線
キロ程 0.5 km(後免町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1911年明治44年)1月27日
* 1952年に後免中町通停留場から改称
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後免中町停留場(ごめんなかまちていりゅうじょう)は、高知県南国市後免町にあるとさでん交通後免線路面電車停留場

歴史

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当停留場は1911年明治44年)1月、とさでん交通の前身である土佐電気鉄道により大津停留場(廃止、領石通停留場を参照)から当停留場までの区間が開通した際に開業した[1]。当時の停留場名は後免中町通停留場(ごめんなかまちどおりていりゅうじょう)[1][2]。次いで同年5月には当停留場から後免町停留場までの区間が開通、これをもって後免線は全通を達成した(ただし当時の後免町停留場は現在の後免東町停留場[1][2]

停留場はその後1944年(昭和19年)に休止されるものの、1952年(昭和27年)に復活[1]。このとき、停留場名は後免中町へと改称された[1]

年表

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停留場構造

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ホーム設置前の様子(2006年)

後免中町停留場は後免線の併用軌道区間にあり、道路上に軌道が敷かれている。ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配される[4]。ただし互いのホームは東西方向に離れて位置しており、東に後免町方面行きのホーム、西にはりまや橋方面行きのホームがある[4]

かつてはホーム安全地帯)がなく、路上に白線で乗り場が示されるのみであったが[5]、都市計画による道路の拡張により2012年4月27日よりホームが設置された。

停留場周辺

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停留場より北へ路地を抜けると後免町商店街に行き着く[6]

隣の停留場

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とさでん交通
後免線
後免東町停留場 - 後免中町停留場 - 後免西町停留場

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『土佐電鉄が走る街 今昔』100・156-158頁
  2. ^ a b c d e f 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、61頁。ISBN 978-4-10-790029-6 
  3. ^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通:「再出発」 「便利な市民の足に」高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社) 
  4. ^ a b 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第2巻 四国西部エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年、35,90頁。ISBN 978-4-06-295161-6 
  5. ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 四国篇、草思社、2007年、293頁。ISBN 978-4-7942-1615-1 
  6. ^ 『土佐電鉄が走る街 今昔』94頁

参考文献

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関連項目

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