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李璵 (朝鮮)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広平大君から転送)
広平大君 李璵
宗親世
大君
諱号 李璵
字号 煥之
出生年 洪熙元年(1425年
没死年 正統9年(1444年
実父 世宗
実母 昭憲王后
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李 璵(イ・ヨ、洪熙元年・世宗7年(1425年) - 正統9年・世宗26年(1444年))は、李氏朝鮮王族は煥之。君号は広平大君。第4代国王世宗の第5王子。母は昭憲王后。第5代国王文宗および第7代国王世祖安平大君臨瀛大君の同母弟。錦城大君平原大君永膺大君の同母兄。桂陽君の異母兄。第6代国王端宗・第8代国王睿宗の叔父。撫安君李芳蕃の養子。

経歴

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1432年に広平大君に封じられる。1436年に申自秀の娘と結婚し、成均館に入学。1437年第一次王子の乱で殺害された撫安君李芳蕃の養子となり、その祭祀を継承する。なお同年、同母弟の錦城大君も李芳蕃の同母弟の李芳碩の養子となる。

1438年、東北面の女真族の来襲に備え、豆満江の下流南岸に置かれた六鎮の国防強化と風俗強化のため都に経済所を設け、宗親として主管するようになると、鍾城を任される。

1442年、当時王世子だった長兄の文宗が父王の摂政となる。1444年に死去。

人物

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性質穏やかで聡明だったとする。四書五経孝経小学などに通じ、李白欧陽脩などの文集を読み、音律、算数などに明るく、書芸にも秀でていたとする。

参考文献

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  • 朴永圭朝鮮王朝実録尹淑姫神田聡 訳、新潮社、1997年9月。ISBN 4-10-536001-9