広島県立三次青陵高等学校
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広島県立三次青陵高等学校 | |
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北緯34度46分18.2秒 東経132度54分52.4秒 / 北緯34.771722度 東経132.914556度座標: 北緯34度46分18.2秒 東経132度54分52.4秒 / 北緯34.771722度 東経132.914556度 | |
過去の名称 |
雙三郡高等實業補習學校 雙三實践農學校 廣島縣立雙三實業學校 広島県双三高等学校 広島県塩町高等学校 広島県三次工業高等学校 広島県立三次工業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 広島県 |
校訓 | 自主・創造・開拓 |
設立年月日 | 1920年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 | 総合学科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D134210000658 |
高校コード | 34166F |
所在地 | 〒729-6211 |
広島県三次市大田幸町10656 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
広島県立三次青陵高等学校(ひろしまけんりつ みよしせいりょう こうとうがっこう)は、広島県三次市大田幸町に所在する公立の高等学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1920年(大正9年)創立の高等実業補習学校を前身とする。実業学校を経て1948年(昭和23年)の学制改革により新制高等学校となる。以後校名は「双三」から1949年(昭和24年)の高校再編により「塩町」、1968年(昭和43年)工業に関する学科の設置に伴い「三次工業」、1996年(平成8年)には総合学科の設置に伴い、現校名の「三次青陵」へと改称。2015年(平成27年)に創立95周年を迎えた。
- 校訓
- 「自主・創造・開拓」
- 校章
- 3つの楕円と「三次」を表す三角形を組み合わせたものを背景にし中央に「高」の文字を置く。校名の英語表記「MIYOSHI SEIRYO H.S.」が併記されている。
- 校歌
- 作詞は田淵実夫、作曲は佐藤正二郎による。歌詞は4番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
- 制服
- ブレザータイプ。
沿革
[編集]- 1920年(大正9年)10月 - 「双三郡高等実業補習学校」が創立。
- 1923年(大正12年)4月 - 「双三実践農学校」と改称。
- 1928年(昭和3年)4月 - 「広島県立双三実業学校」と改称。
- 1948年(昭和23年)5月3日 - 学制改革により、実業学校が廃止され、新制高等学校「広島県双三高等学校」が発足。
- 1949年(昭和24年)4月30日 - 高校三原則に基づく公立高等学校の再編により、「広島県塩町高等学校」と改称。
- 普通科・生活科・農業科・畜産科を設置。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 「広島県三次工業高等学校」を併設。機械科と電気科の2学科を設置。塩町高等学校としての募集を停止。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 定時制・布野分校を広島県三次高等学校へ移管。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 化学工学科を設置。広島県塩町高等学校が廃止される。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 建設科を設置。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立三次工業高等学校」と改称(県の後に「立」が付される)。
- 1971年(昭和46年)1月 - 体育館が完成。
- 1982年(昭和57年)10月 - 格技場(一心館)が完成。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 電子科を設置。
- 1989年(平成元年)3月31日 - 化学工学科を廃止。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 総合学科を設置し、「広島県立三次青陵高等学校」(現校名)と改称。 工業に関する学科の募集を停止。
- 1998年(平成10年)3月31日 - 登校路整備。
部活動
[編集]- 運動系
- 硬式野球部
- サッカー部
- 男子バスケットボール部
- 女子バスケットボール部
- 女子バレーボール部
- 卓球部
- ソフトテニス部
- 陸上競技部
- 文化系
- 吹奏楽部
- 美術部
- 写真部
- 文芸部
- 家庭科部
- 工業系
- 電子工作部
- マルチメディア研究部
- 機械研究部