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広島県立庄原格致高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広島県立庄原格致高等学校
地図北緯34度51分39.4秒 東経133度0分18.7秒 / 北緯34.860944度 東経133.005194度 / 34.860944; 133.005194座標: 北緯34度51分39.4秒 東経133度0分18.7秒 / 北緯34.860944度 東経133.005194度 / 34.860944; 133.005194
過去の名称 私立格致學院
廣島縣格致中學校
廣島縣立格致中學校
広島県格致高等学校
広島県比婆西高等学校
広島県庄原高等学校
広島県庄原格致高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 広島県の旗 広島県
校訓 格物致知
設立年月日 1897年
創立者 小田源吉
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 医療教職コース
学期 2学期制
学校コード D134210000471 ウィキデータを編集
高校コード 34165H
所在地 727-0021
広島県庄原市三日市町515
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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広島県立庄原格致高等学校(ひろしまけんりつ しょうばらかくち こうとうがっこう)は、広島県庄原市三日市町に所在する公立高等学校。略称は「格致」。

概要

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歴史
1897年明治30年)11月に小田源吉により「私立格致学院」として設立。1938年昭和13年)4月の移管により「広島県立格致中学校」と改称。広島県北部では最も歴史のある伝統校である。2017年平成29年)に創立120周年を迎える。
校名の由来
中国儒学における古典である四書五経のうち「大学」に収められた「格物致知」の言葉に由来する。「格物」とは、物事に真剣に取り組むことであり、「致知」とは、知や技を我がものにすることである。生徒の理想をうたったものであるといえる。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
全日制課程 普通科「医療・教職コース」
校訓・校風
「格物致知」
校章
創立者・小田源吉の家紋に由来し、五三桐を背景にして中央に「高」の文字を配している。
校色(スクールカラー)
えんじ
校歌
作詞は柄松香、作曲は中村哲二による。歌詞は3番まであり、3番に校名の由来となった言葉「格物致知」が登場する。
制服
平成になって以降は紺のブレザー(タイは赤色)とグレーのパンツ・スカートとなった。
同窓会
1922年大正11年)12月に東京神田で東京格致会(現:東京庄原格知会)が発足しており、卒業生は広島県下のみならず東京・関西などへ進学・起業している。
寄宿舎
「格物寮」(男子寮)と「致知寮」(女子寮)がある。 

沿革

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  • 1897年(明治30年)11月1日 - 小田源吉により「私立格致学院」が設立される。
  • 1927年(昭和2年)3月15日 - 「広島県格致中学校」(私立)に改称。
    • 修業年限を5年(現在の中1から高2に相当)、入学資格を尋常小学校を卒業した12歳以上の男子とする。
  • 1938年(昭和13年)4月1日 - 移管により「広島県立格致中学校」に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、入学資格が国民学校初等科を卒業した12歳以上の男子に変更となる。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年(現在の中1から高1)となる。
  • 1944年(昭和19年)4月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令の施行される前に入学した生徒にも修業年限4年が適用されることになる。
  • 1945年(昭和20年)3月 - 1940年(昭和15年)4月入学の5年生と1941年(昭和16年)4月入学の4年生の合同卒業式を挙行。
  • 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年に戻る。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)が行われる。
    • 旧制中学校としての募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 旧制中学校3・4年修了者はそのまま4・5年生として在籍。
  • 1948年(昭和23年)
    • 5月3日 - 学制改革により、旧制中学校は廃止され、新制高等学校「広島県格致高等学校」(男子校)が発足。
      • 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校の在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
    • 7月1日 - 定時制課程夜間部(普通科)を設置。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止。
    • 4月30日 - 高校三原則に基づく公立高等学校の再編が行われる
    • 5月10日 - 開校式が行われる。普通科は(西校舎)を生活科、農業科、畜産科は(東校舎)を使用。
      • 県立高等学校3校(格致・庄原・西城)が統合され、総合制の「広島県比婆西高等学校」が発足。男女共学を開始。西城高等学校が西城分校となる。
  • 1950年(昭和25年)- 旧格致高等学校の校舎を焼失。
  • 1952年(昭和27年)
    • 3月31日 - 西城分校が分離し、定時制の西城高等学校として独立。
    • 4月1日 - 定時制分校2校(高野山分校(普通科・生活科)、口和分校(普通科))を設置。  
  • 1954年(昭和29年)5月1日 - 「広島県庄原高等学校」と改称。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 普通科が分離し「広島県庄原格致高等学校」として独立。その他の学科は広島県庄原実業高等学校となる。              
  • 1962年(昭和37年)
    • 4月1日 - 旧格致高等学校に校舎新築移転、高野山分校本年度より全日制課程に移行する。
    • 11月3日 - 新校舎落成式 
    • 11月3日 - 新校舎r
  • 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立庄原格致高等学校」(現校名)と改称(県の後に「立」が付される)。
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 口和分校本年度入学より全日制課程に移行
  • 1964年(昭和39年)7月5日 - 屋内体育館兼講堂落成式
  • 1967年(昭和42年)11月1日 - 本校創立70周年記念式典
  • 1968年(昭和43年)1月29日 - 挌技場落成式
    • 12月31日 - 「広島県立庄原格致高等学校」と改称
  • 1970年(昭和45年)12月31日 - 特別教室(第三校舎)新築落成
  • 1976年(昭和51年)3月26日 - 生徒ホール(格致会館)新築落成
    • 4月8日 - 普通教室(3教室)新築落成
  • 1978年(昭和53年)3月10日 - 普通教室(12教室)新築落成
  • 1979年(昭和54年)2月12日 - 特別教室(家庭科3教室)新築落成 クラブハウス(一棟)新築落成
  • 1980年(昭和55年)3月31日 - 口和分校を廃止。
  • 1981年(昭和56年)11月 - L.L.装置完成
  • 1982年(昭和57年)8月31日 - 特別教室(理科・視聴覚等7教室)新築落成
    • 9月24日 - 創立85周年記念式典
  • 1984年(昭和59年)9月30日 - 本館新築落成
  • 1987年(昭和62年)11月30日 - 自転車置場新設
  • 1988年(昭和63年)3月15日 - 特別教室(更衣室,図書庫,選択室等)大幅改修
  • 1990年(平成2年)3月31日 - クラブハウス(一階シャワー室,トレーニングルーム,二階 部室8室)新築落成
    • 8月8日 - クラブハウスにコンビネーショントレーニングマシーン設置
  • 1992年(平成4年)9月1日 - 旧体育館解体
  • 1993年(平成5年)8月20日 - 体育館新築落成
  • 1997年(平成9年)11月1日 - 創立100周年記念式典 記念庭園「坦懐の園」開園
  • 1999年(平成11年)3月23日 - 第二グランド竣工
  • 2003年(平成13年)2月14日 - 挌技場落成
  • 2009年(平成21年)
    • 3月31日 - 高野山分校を廃止。
    • 4月 - 広島県高等学校チャレンジハイスクールに指定される。
  • 2013年(平成25年)3月27日 - マレーシア クアラ・セランゴール理数中等学校と姉妹校となる。 
  • 2015年(平成27年)5月28日 - 部室棟(木造平屋)新築完了。
  • 2016年(平成28年)2月12日 - 渡廊下(三階建)新築完了。                         

著名な出身者

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交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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