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広島市立工業専門学校 (旧制)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広島市立工業専門学校
(広島市工専)
創立 1945年
所在地 広島県広島市
初代校長 勝盛豊一
廃止 1951年
後身校 広島大学
同窓会 広島工業会

旧制広島市立工業専門学校(きゅうせいひろしましりつこうぎょうせんもんがっこう)は、1945年昭和20年)1月、広島市により設立された旧制専門学校。略称は「広島市工専」(あるいは「官立広島工専」(官工専)と区別して単に「市工専」とも)。

概要

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沿革

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  • 1945年(昭和20年)
    • 1月17日 - 専門学校令により設立(機械科・航空機科2科を設置)。
    • 4月1日 - 開校。
    • 6月9日 - 開校式・第1回入学式を挙行。
    • 8月6日:原爆により校舎が中破。
    • 8月20日 - 一部授業が再開。
    • 9月15日 - 大半の授業が再開。
    • 12月 - 航空機科を土木科に改組。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 工業経営科を増設。
  • 1947年(昭和22年)5月 - 官立広島工業専門学校への併合問題が起こる。
  • 1948年(昭和23年)3月13日 - 第1回卒業式を挙行。
  • 1949年(昭和24年)5月31日 - 国立学校設置法の公布により設立された広島大学に併合。
  • 1951年(昭和25年)3月31日 - 全生徒の卒業とともに廃校。

歴代校長

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校地の変遷と継承

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1945年の米軍作成の地図 / 図中"MOTOURA"(本浦(ほんうら)の誤記)の北方面に校地・校舎が確認できる。

市工専は広島市東雲町653番地(住所変更により現在は南区東本浦町)の広島市立第一工業学校(現在の広島県立広島工業高等学校の前身校の一つ)[1]内に併設され、廃校までこの校地が維持された。跡地にはその後1954年(昭和29年)に県立広島商業高校の校地が移転してきたが、1960年(昭和35年)に同校が広島市江波町(えばまち)(現在の広島市中区舟入南6丁目)の校地へ復帰したのち、1964年(昭和39年)に市立広島工業高校[2]が移転、現在に至っている。

原爆の被害

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1945年8月6日の原爆投下にさいし、爆心地から約3.1㎞離れていた市工専は木造校舎が中破するなどの被害を出したが、全般的に施設の損害は軽微であった。また当日は東雲町の校舎で授業が行われていたため生徒・教職員の犠牲者も僅少であると推定されるが、1945年中の被爆死者数は生徒・教職員とも不明である[3]

脚注

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  1. ^ 戦後学制改革により1948年5月、広島市工業高等学校に改組されたが、翌1949年4月、広島県広島工業高等学校(旧制県立広島工業学校の後身)・広島県有朋高等学校(旧制県立広島第一高等女学校の後身)・広島県広南高等学校(旧制県立広島第二高等女学校の後身)とともに総合制の広島県広島皆実高等学校として統合され、同校「工業課程」の前身となったが、その後同課程が県立広島工業高等学校として独立した。[1]参照。
  2. ^ 旧制広島市立第二工業学校(および新制広島市中央工業高等学校)の後身で、先述の「広島市工業高等学校」とは別の学校である。[2]参照。
  3. ^ 『広島大学の五十年』p.44。

参考・関連文献

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  • 広島大学二十五年史編集委員会 『広島大学二十五年史:包括校史』 広島大学1977年
  • 広島大学文書館(編) 『広島大学の五十年』 広島大学出版会、2013年 ISBN 9784903068084

外部リンク

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関連項目

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