巖本真理
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(巌本真理から転送)
巖本 真理 | |
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1950年3月29日撮影 | |
基本情報 | |
生誕 | 1926年1月19日 |
出身地 | 日本東京都 |
死没 | 1979年5月11日(53歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
巖本 真理(いわもと まり、1926年1月19日 - 1979年5月11日)は、日本の女性ヴァイオリニスト。出生時の戸籍名は巖本メリー・エステル、後に巖本真理と改名した。
経歴
[編集]教育者巌本善治と若松賤子の長男である巌本荘民(まさひと)とアメリカ人巌本マーグリートの間の長女として東京西巣鴨に生まれ、メリー・エステルと名づけられる。6歳からヴァイオリンを小野アンナに学ぶ。
ハーフとして差別を受け、病弱だったためもあり、1935年に私立帝国小学校を4年生で中退[1]。自宅でヴァイオリンの英才教育を受け、1938年4月、13歳にして第6回日本音楽コンクールで一位となり[2]、天才少女と呼ばれる。1939年11月11日、レオ・シロタの伴奏で第一回独奏会を開く。1942年、英語が敵性語とされたことを受け、真理と改名する。
1946年、20歳で東京音楽学校教授となるが1950年に辞職して渡米する。帰国後、演奏活動を再開し1959年に芸術選奨文部大臣賞、芸術祭奨励賞、1964年に民放祭最優秀賞、1965年にブラームスの室内楽曲の全曲連続演奏を行い毎日芸術賞を、1966年に「巌本真理弦楽四重奏団」を結成し1970年にレコード・アカデミー賞、1971年に再度芸術選奨賞、1974年にモービル音楽賞を受賞した。
1977年に乳癌に罹り、手術するが再発し53歳で死去した。日本初の室内楽定期演奏会94回の偉業を達成した。
脚注
[編集]- ^ 『巌本真理 生きる意味』pp.29-34
- ^ 各部門の入賞者決まる『大阪毎日新聞』(昭和13年4月23日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p59 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
参考文献
[編集]- 山口玲子『巌本真理 生きる意味』(新潮社)
- 巖本真理の著作物(サイニーCiNii)
外部リンク
[編集]国立国会図書館歴史的音源