岐阜市立岩野田小学校
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岐阜市立岩野田小学校 | |
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北緯35度28分42秒 東経136度46分52秒 / 北緯35.478278度 東経136.781111度座標: 北緯35度28分42秒 東経136度46分52秒 / 北緯35.478278度 東経136.781111度 | |
過去の名称 |
屈蠖学舎 大橋小学校 大橋尋常小学校 大橋尋常高等小学校 岩野田尋常高等小学校 岩野田国民学校 岩野田村立岩野田小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岐阜市 |
設立年月日 | 1873年3月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B121220100209 |
所在地 | 〒502-0006 |
岐阜県岐阜市粟野西二丁目33番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岐阜市立岩野田小学校(ぎふしりつ いわのだしょうがっこう)は、岐阜県岐阜市粟野西二丁目にある公立小学校。
概要
[編集]校名の「岩野田」は、学校分離前の校区内の地区名である「岩崎(いわさき)」「粟野(あわの)」「三田洞(みたほら)」から1文字ずつ取って付けられた。同じ地区にある岐阜市立岩野田北小学校と区別するため、「田小(だしょう)」と呼ばれ、対する岩野田北小学校は「北小(きたしょう)」と呼ばれている。
岩野田北小学校とは第二次ベビーブーム世代の入学による生徒数増加に対応する学校分離の為、わずか600mしか離れていない。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)3月 - 岩崎村[注釈 1]に屈蠖(くつわく)学舎[注釈 2]として発足。
- 1881年(明治14年) - 大橋小学校に改称する。
- 1886年(明治19年) - 大橋尋常小学校に改称する。
- 1891年(明治24年)
- 10月28日 - 濃尾地震により校舎が倒壊。
- 12月10日 - 仮設の小屋をつくり、授業を再開。
- 1892年(明治25年)4月 - 立専寺[注釈 3]を仮校舎とする。
- 1894年(明治27年) - 現在地に新校舎が完成。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 岩崎村、粟野村、三田洞村が合併して岩野田村が発足。
- 1901年(明治34年) - 児童数増加のため、隣接する役場を教室とし、学級数を増やす。
- 1906年(明治39年)
- 9月 - 校舎改築のため、立専寺を仮校舎とする。
- 12月23日 - 校舎の改築工事が完成。
- 1909年(明治42年)5月15日 - 新校舎が完成。
- 1910年(明治43年) - 大橋尋常高等小学校に改称する。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 裁縫補習学校を設置。
- 1918年(大正7年)10月13日 - 校舎を増築する。
- 1920年(大正9年)9月25日 - 暴風雨で校舎の一部を破損。
- 1929年(昭和4年)9月 - 校舎を増築する。
- 1935年(昭和10年) - 岩野田尋常高等小学校に改称する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 岩野田国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 岩野田村立岩野田小学校に改称する。
- 1949年(昭和24年)7月1日 - 岩野田村が岐阜市に編入される。同時に岐阜市立岩野田小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年) - 新校舎(南舎)が完成。
- 1973年(昭和48年) - 南舎増築工事。
- 1975年(昭和50年) - 新校舎(北舎)が完成。
- 1980年(昭和55年) - 岐阜市立岩野田北小学校を分離する。
- 2019年(平成31年)4月 - 3学期制から2学期制へと変更。
通学区域
[編集]- 粟野西2丁目、岩崎1-3丁目、三田洞東1-5丁目、粟野の一部、岩崎、三田洞[1]。
進学先中学校
[編集]交通アクセス
[編集]- 岐阜高富線、高美線、岐阜板取線、岐北線、岐阜女子大線、松籟加納線、茜部三田洞線、岐南町線、おぶさ墨俣線などで、「三田洞」バス停より徒歩5分
学校周辺
[編集]- 百々ヶ峰 - 山側からみて当校が北西麓に所在。当校校歌としても歌われている。
- 鳥羽川
- 岐阜薬科大学
- 岐阜県立岐阜城北高等学校
- 岩野田保育所
関係者
[編集]出身者
[編集]参考文献
[編集]- 岩野田小創立百周年記念誌(岩野田小学校創立百周年記念実行委員会 1973年)P.16 - 42
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則”. 岐阜市教育委員会. 2021年6月19日閲覧。