コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

宮城県岩ヶ崎高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩ヶ崎高等学校から転送)
宮城県岩ヶ崎高等学校
校舎遠景
地図北緯38度49分14.5秒 東経140度59分0.2秒 / 北緯38.820694度 東経140.983389度 / 38.820694; 140.983389座標: 北緯38度49分14.5秒 東経140度59分0.2秒 / 北緯38.820694度 東経140.983389度 / 38.820694; 140.983389
過去の名称 岩ヶ崎町立岩ヶ崎実科女学校
宮城県岩ヶ崎高等女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 宮城県の旗 宮城県
学区 宮城県全域 (普通科は旧栗原学区)
岩手県一関市(普通科のみ旧市域および旧花泉町域に限って志願可)
併合学校 宮城県鶯沢工業高等学校
設立年月日 1941年4月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
創造工学科
学期 2学期制
学校コード D104212130010 ウィキデータを編集
高校コード 04116F
所在地 989-5351
宮城県栗原市栗駒中野愛宕下1-3
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

宮城県岩ヶ崎高等学校(みやぎけん いわがさきこうとうがっこう)は、宮城県栗原市栗駒中野愛宕下にある県立高等学校

概要

[編集]
  • 設置学科 全日制課程 

略称は「岩高」(いわこう)。1941年昭和16年)に実科女学校として創立され、戦後の学制改革により男女共学の普通高校となり現在にいたる。栗原市の高校としては、栗原農業高校、築館高校、若柳高校、築館女子高校の後にできた後発の学校であるが、早い時期から進路指導に力をいれてきた。地元に三菱鉱山の経営する細倉鉱山があったこともあり、高度成長期には東大現役合格や、東北大に多数の合格者を出すなど良好な進学実績を残した。一時低迷した時期もあったが、10年ほど前から大きく進学実績を伸ばし、栗原市屈指の進学校となる。

沿革

[編集]
  • 1941年(昭和16年):岩ヶ崎町立岩ヶ崎実科女学校設立認可、岩ヶ崎国民学校の一部を校舎として開校。修業年限2年、定員200名。
  • 1943年(昭和18年):宮城県岩ヶ崎高等女学校と改称、校旗制定。
  • 1944年(昭和19年):専攻科設置。修業年限1年、定員50名。
  • 1946年(昭和21年):修業年限が3年となり、専攻科は廃止される。校歌制定(作詞土井晩翠、作曲    )
  • 1948年(昭和23年):学制改革により男女共学の宮城県岩ヶ崎高等学校となる。初代校長飯田次雄。修業年限3年、定員600名。
  • 1950年(昭和25年):一町六ヶ村組合結成、組合立に移管。
  • 1951年(昭和26年):県立移管、6月23日に新校舎に移転。この日を開校記念日とする。校歌制定。
  • 1956年(昭和31年):第5回高校総体で相撲優勝。
  • 1959年(昭和34年):県教委より進路指導研究の指定を受ける。若柳高校との第1回定期戦。
  • 1961年(昭和36年):進路指導研究発表会。第10回高校総体で相撲優勝。
  • 1963年(昭和38年):1学級増え、5学級(募集定員225名)となる。
  • 1964年(昭和39年):2代校長西川十郎着任。定時制課程募集停止。寄宿舎落成。
  • 1965年(昭和40年):朝課外始まる。第1回校内マラソン大会。
  • 1966年(昭和41年):全国高等学校相撲高知大会に出場、優秀16校に選ばれる。創立25周年記念式典実施、「25年のあゆみ」発行。
  • 1968年(昭和43年):3代校長佐藤速雄着任。新体育館落成。
  • 1969年(昭和44年):東北大学に7名合格(県内8位)。
  • 1970年(昭和45年):4代校長高橋清久着任。
  • 1971年(昭和46年):プール完成。
  • 1972年(昭和47年):生物部が日本学生科学賞受賞。5代校長星野正雄着任。第2グラウンド完成。
  • 1973年(昭和48年):職員宿舎完成。
  • 1974年(昭和49年):6代校長斎藤邦三着任。武道館完成。第23回高校総体ソフトボール優勝。
  • 1976年(昭和51年):ソフトボール部が国体出場。
  • 1978年(昭和53年):7代校長小泉茂樹着任。
  • 1979年(昭和54年):健康マラソン大会始まる。漢字コンクール始まる。学級削減反対運動起こる。
  • 1980年(昭和55年):4学級(募集定員180名)となる。
  • 1981年(昭和56年):8代校長三浦三郎着任。新校舎への移転始まる。
  • 1982年(昭和57年):尚志館・クラブ部室完成。校舎落成記念式典、「岩ヶ崎高四十年史」発刊。
  • 1984年(昭和59年):9代校長千葉武着任。天体観測室に150ミリ屈折望遠鏡を設置。
  • 1985年(昭和60年):健康競歩大会始まる。
  • 1987年(昭和62年):10代校長岡崎智徳着任。
  • 1989年平成元年):11代校長千葉弘顕着任。
  • 1991年(平成3年):創立50周年記念式典、「岩高五十周年記念誌」発刊。
  • 1992年(平成4年):12代校長佐々木正博着任。
  • 1995年(平成7年):13代校長畑中利実着任。早朝学習会「愛宕塾」結成。
  • 1997年(平成9年):普通科2コース制(文系教養コース、理系教養コース)となる。
  • 1998年(平成10年):14代校長岩本殉二着任。中高連携教育の研究指定校(2年間)となる。
  • 2000年(平成12年):2学期制実施。3学級(募集定員120名)となる。「中高連携教育実践研究事業成果報告書」発行。1年生のオリエンテーション合宿(花山)始まる。大学見学会始まる。県教委の第1回進学支援合同模試(のちのみやぎ高校模試)に参加。健康競歩大会を健康強歩大会と改称する。3年生の特別編成授業(大学入試対策)始まる。
  • 2001年(平成13年):15代校長山本照夫着任。育英館完成。創立60周年記念式典実施。「岩ヶ崎高校60年-若き生命とともに」発刊。
  • 2003年(平成15年):16代校長白旗宏喜着任。文部科学省より学力向上フロンティアハイスクールの指定(3年間)を受ける。
  • 2004年(平成16年):3月の特別編成授業始まる。
  • 2005年(平成17年):17代校長古谷隆夫着任。 
  • 2009年(平成21年):鶯沢工業高校募集停止に伴い、創造工学科を設置。岩ヶ崎高校鶯沢校舎となる。
  • 2018年(平成30年):創造工学科の閉科に伴い、岩ヶ崎高校鶯沢校舎を閉校。
  • 2019年(平成31年):新体育館を竣工。

著名な出身者

[編集]

同窓会

[編集]
「関東在住四校合同同窓会」

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]