岡部弥太郎
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岡部 弥太郎(岡部 彌太郎、おかべ やたろう、1894年6月20日 - 1967年3月14日)は、昭和期に活躍した日本の心理学者、教育者。東京大学教授、立教大学教授、国際基督教大学教養学部教授、上智大学文学部教授。幼少教育の先駆者であり、教育心理学の分野で多くの業績をあげた[1][2]。
人物・経歴
[編集]長野県[1]北佐久郡春日村(現・佐久市)出身。1919年(大正8年)、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。同年、同大学助手となり、女子英学塾(現・津田塾大学)、立教大学の各講師を兼務する[2]。
1930年(昭和5年)、東京大学助手を辞め、立教大学教授に就任[2]。教育学、教育史を講じ、心理学演習を担当した[3]。1935年(昭和10年)からは、東京大学に戻り助教授となり、1948年(昭和23年)に東大教授となった[2]。
1951年(昭和26年)にアメリカを視察して、教育心理学の研究を行う。愛育研究所教養部長となり、幼少教育に先鞭をつけた[2]。1955年(昭和30年)、東京大学を定年退職した後、国際基督教大学教養学部教授、上智大学文学部教授を歴任した[1][2]。
主な著作
[編集]- 『教育的測定』教育研究会 1923年
- 『教育心理学』岡部弥太郎, 沢田慶輔 編 東京大学出版会 1955年