岡田八十次
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(岡田小八郎から転送)
岡田 八十次(おかだ やそじ)は、慶長から元和年間(1596年 - 1624年)に蝦夷地へ進出した老舗近江商人。屋号は松前で恵比寿屋、近江で松前屋。歴代当主が襲名した名称(なお、第6代まで弥三右衛門を当主名として用いた)[1]。
岡田八十次家
[編集]- 岡田藤左衛門- 岡田家高祖とされ、安土城下に生まれる。
- 岡田弥三右衛門 (初代)玄悦:(永禄11年(1568年)-承応3年(1654年))慶長年間(1596年-1615年)八戸に進出し、後蝦夷地松前に出店。
- 岡田弥三右衛門 (3代)秀慶:(生年不詳-元禄6年(1693年))3代秀慶の頃から享保年間(1736年)に『場所請負人』となったとされる。
- 岡田弥三右衛門 (4代)玄正:(生年不詳-宝永7年(1710年))3代秀慶嫡子。
- 岡田弥三右衛門 (5代)秀悦(正広):(生年不詳-明和2年(1765年))4代玄正次男、通称清八。弟玄慶をもって小八郎家を立てる。
- 岡田弥三右衛門 (6代)礁意(正利又は広孝):(生年不詳-天明元年(1781年))5代次男、幼名弥二郎。
- 岡田八十次 (7代)秀遠:(生年不詳-安永9年(1780年))6代広孝長男、幼名治郎。10代までは弥三治とも記される。
- 岡田八十次 (8代)秀山(常広):(生年不詳-天保12年(1841年))6代広孝次男、通称清八。
- 岡田八十次 (9代)誠定(広房):(生年不詳-文化12年(1815年))8代常広嫡子、幼名清次。
- 岡田八十次 (10代)松住:(生年不詳-文政4年(1821年))今須三和の三男、8代娘婿、幼名弥三郎。23箇所の場所請負人となる、岡田家最盛期。
- 岡田八十次 (11代)広猷(正期):(生年不詳-明治40年(1907年))10代の娘婿、愛知郡柳川村大橋仁右衛門次男。慶應元年(1865年)小樽内場所の請負を失う。
- 岡田八十次 (12代)眞哲:(生年不詳-大正2年(1913年))11代正期の娘婿、蒲生郡森尻村大梁氏。幼名弥一郎。
- 岡田八十次 (13代):(生年不詳-昭和15年(1940年))12代長男。明治16年(1883年)家督を継ぐが、明治34年(1901年)岡田家は事実上倒産。
岡田小八郎家
[編集]歴代当主[3]
- 岡田小八郎 (初代)玄慶(治與):(元禄11年(1698年)頃-宝暦13年9月(1763年10月))5代岡田弥三右衛門の弟。
- 岡田小八郎 (2代)恵雲:(享保4年(1719年)頃-寛政元年(1789年))栗太郡下物村(現草津市下物町)の郷士久松恵雲の子閑斉を娘そよ入婿。
- 岡田小八郎 (3代)政渉:(宝暦11年(1761年)頃-享和元年2月(1801年3月))質素倹約に務め小八郎家中興の祖と言われる。
- 岡田小八郎 (4代)政直:(天明6年(1786年)頃-文政10年10月(1827年11月))八幡朽木陣屋より勝手御用達となる。
- 岡田小八郎 (5代)政徳:(天保12年(1841年)頃-明治21年(1888年))幼名與吉・通称元太郎。岡田家最盛期に家督を継ぐ。
- 岡田小八郎 (6代)政祺:(嘉永元年(1848年)頃-明治34年(1901年)12月)明治維新に伴う変化に対し奮闘。