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宋文憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山木文憲から転送)
宋文憲
各種表記
ハングル 송문헌
漢字 宋文憲
発音: ソン・ムンホン
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宋 文憲(そう ぶんけん、ソン・ムンホン、朝鮮語: 송문헌1892年高宗29年 / 明治25年)6月16日 - 1970年8月24日[1])は、明治から昭和にかけての朝鮮総督府官僚。日本名山木文憲[2]位階正五位勲位勲四等[2]平安北道参与官、朝鮮総督府中枢院参議などを歴任した宋文華は兄[1]

経歴

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1892年漢城府で生まれた。1911年明治44年)官立漢城外国語学校を卒業[2]1912年(明治45年)から朝鮮総督府に奉職し[3]1915年大正4年)から碧潼郡書記、博川郡書記、龍仁郡書記を歴任した[3]1920年(大正9年)朝鮮総督府内務局勤務を経て[3]1923年(大正12年)に青松郡守に昇進し、醴泉郡守、尚州郡守を歴任[3]1930年昭和5年)に慶尚北道理事官兼内務部産業課長に昇進し[3]慶尚南道産業課長、京畿道産業課長、江原道参与官、咸鏡南道参与官を経て[3]1940年(昭和15年)に創氏改名。1942年(昭和17年)1月黄海道知事に任ぜられた。同年10月には忠清南道知事に転じ[2]1945年6月16日まで在任した。道知事在職時には国民総力黄海道連盟、国民総力忠清南道連盟会長を兼任し[1]1942年(昭和17年)にシンガポール陥落を祝い、月刊誌「東洋之光」に寄稿した[1]

死後は親日反民族行為者に認定された[4]

出典

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  1. ^ a b c d 송문헌(宋文憲) 한국학중앙연구원
  2. ^ a b c d 人事興信所 1943, ヤ63頁.
  3. ^ a b c d e f 송문헌 ( 宋文憲 ) 国史編纂委員会
  4. ^ 06년 12월6일 이완용 등 친일반민족행위자 106명 명단 확정 공개” (朝鮮語). 한국일보 (2021年12月6日). 2022年7月25日閲覧。

参考文献

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