久本古墳
久本古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
別名 | 椀貸塚 |
所在地 | 香川県高松市新田町久本 |
位置 | 北緯34度18分54.60秒 東経134度6分21.73秒 / 北緯34.3151667度 東経134.1060361度座標: 北緯34度18分54.60秒 東経134度6分21.73秒 / 北緯34.3151667度 東経134.1060361度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径36m |
埋葬施設 |
両袖式横穴式石室(石棚付) (内部に陶棺) |
出土品 | 承盤付銅椀・鉄鏃・須恵器・土師器 |
築造時期 | 6世紀末-7世紀初頭 |
史跡 | 高松市指定史跡「久本古墳」 |
地図 |
久本古墳(ひさもとこふん)は、香川県高松市新田町にある古墳。形状は円墳。高松市指定史跡に指定されている。
本項目では久本古墳の北にある山下古墳についても解説する。
概要
[編集]香川県中部、高松平野東部の立石山西麓に築造された古墳である。これまでに墳丘は大きく削平を受けているほか、1975年(昭和50年)・2002年度(平成14年度)に発掘調査が実施されている[1]。
墳形は円形で、直径36メートルを測る[1]。墳丘周囲には幅10.5メートル(南側)・5メートル(西側)の周溝が、その外側に幅3.5メートルの周堤が巡らされ、周溝を含めた直径は46メートル、周堤を含めた直径は53メートルを測る[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する[1]。石室全長10.8メートルを測る大型石室であり、石材には安山岩の巨石が使用される。石室奥壁に石棚を付すという特徴を有し、石棚下には土師質の亀甲型陶棺が据えられる。石室内は盗掘に遭っているが、発掘調査では副葬品として多量の須恵器のほか、承盤付銅椀・鉄鏃・土師器が検出されている[2]。
この久本古墳は、古墳時代終末期の6世紀末葉-7世紀初頭頃の築造と推定され[2]、7世紀後半頃までの祭祀が認められる(埋葬回数は1回か)[1]。いずれも香川県内では唯一となる、石棚付石室・土師質亀甲型陶棺・承盤付銅椀の点で特色を示す古墳になる。周辺では巨石墳として小山古墳(非現存)・山下古墳(後述)の築造も知られるほか、後背丘陵上では群集墳が営造されており、久本古墳・小山古墳・山下古墳の3基は一帯の首長墓(綾公氏や秦氏の墓か)と想定される[1]。また当地の豪族と、北方における屋嶋城築城との関連性の点でも注目される[1]。
古墳域は1975年(昭和50年)に高松市指定史跡に指定されている[2]。
遺跡歴
[編集]埋葬施設
[編集]埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:10.8メートル
- 玄室:長さ4.6メートル、幅2.6メートル、高さ3.5メートル
- 羨道:長さ6.2メートル、幅1.6メートル、高さ2メートル
石室の石材には安山岩の巨石が使用される。石室(および墳丘)の構築に際しては高麗尺(1尺=約35.6センチメートル)の使用が推測され、玄室の奥壁が墳丘の中心として基準になる[1]。玄門部の立柱石は内側に張り出し、その上部には楣石を置くという九州系横穴式石室の特徴を示す[1]。また羨門にも立柱石が認められ、羨道部は複室構造の前室のような形態を取る[1]。羨門立柱石は鑵子塚古墳(観音寺市)でも知られ、関係性が指摘される[1]。
また玄室には、奥壁に接する位置に石棚を付し、石棚を有する石室としては香川県では唯一の例になる[1]。両側壁にかけて渡した一枚石(長さ約3メートル・幅1.5メートル・厚さ0.5-0.6メートル)を棚とし、床面から棚下は1.7-1.8メートルを測る[1]。石棚の多い九州・紀伊地方では石棚を奥壁・両側壁に組み込むのに対し、中国・四国地方では石棚を両側壁のみに組み込んでおり、本古墳も後者の例に属する[1]。棚下では後述の土師質陶棺が据えられることから、この石棚は棺を庇状に覆う役割とされる[1]。
玄室内の石棚下には土師質陶棺が据えられており、確実な土師質陶棺の出土としては香川県では唯一の例になる[1]。亀甲型陶棺であり、突帯幅は1.5-2センチメートルと狭いものになる[1]。当該時期の陶棺は大和地方に集中し、本古墳の陶棺も狐塚2号横穴(奈良県奈良市)の陶棺と似ることから、大和地方との関係性が指摘される[1]。
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石室俯瞰図
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玄室(奥壁方向)
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玄室(羨道方向)
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玄門
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
出土品
[編集]石室内は盗掘に遭っているが、発掘調査では次の副葬品が検出されている[1]。
上記のうちでは特に銅椀が注目され、銅椀の出土は香川県内で唯一の例になる[1]。銅椀は仏具であり、畿内との結びつきや仏教文化の影響を示す遺物になるが、地方では豪華な食器として使用されたと推測される[1]。
山下古墳
[編集]山下古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
所在地 | 香川県高松市新田町山下 |
位置 | 北緯34度19分13.38秒 東経134度6分30.03秒 / 北緯34.3203833度 東経134.1083417度 |
形状 | 不明 |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
築造時期 | 6世紀-7世紀代 |
史跡 | なし |
山下古墳(やましたこふん)は、久本古墳の北約600メートルにある古墳。史跡指定はされていない。
墳丘封土はほとんどが流失しており、元々の墳形は明らかでない[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する[1]。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:現存9.0メートル
- 玄室:長さ5.05メートル、幅2.55-2.85メートル、現在高さ2.5-2.8メートル(推定復元約3メートル)
- 羨道:長さ4メートル、幅1.5メートル、現在高さ1.2メートル
石室の石材はすべて安山岩である[1]。玄室の規模は一帯の古墳では最大であり、玄室の天井石は巨石1枚で構築される[1]。副葬品は詳らかでない。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(羨道方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
文化財
[編集]高松市指定文化財
[編集]- 史跡
- 久本古墳 - 1975年(昭和50年)3月13日指定[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 久本古墳 史跡説明板(高松市教育委員会設置)
- 地方自治体発行
- 『高松指定史跡 久本古墳 -保存整備・市道新田町61号線道路改良に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-(高松市埋蔵文化財調査報告 第71集)』高松市教育委員会、2004年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 事典類
- 『日本歴史地名大系 38 香川県の地名』平凡社、1989年。ISBN 4582490387。
- 「久本古墳」、「山下古墳」。
- 『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 阿部里司「久本古墳」。
- 『日本歴史地名大系 38 香川県の地名』平凡社、1989年。ISBN 4582490387。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『高松市山下古墳調査報告』香川県教育委員会、1980年。
- 『高松市の文化財 -まもるまなぶつたえる-』高松市教育委員会、2011年。
関連項目
[編集]- 高松茶臼山古墳 - 久本古墳の南に所在する前期古墳。香川県指定史跡。
外部リンク
[編集]- 久本古墳 - 高松市ホームページ